『ANORA アノーラ』ネタバレ考察です。ラストシーンのイゴールとアノーラの心情について解説しています。

『ANORA アノーラ』は、カンヌ国際映画祭のパルムドールをはじめ、数多くの賞を獲得した作品です。
確かにその理由はよくわかります。
実に繊細な感情を描いた映画だと思いました。
ただ、個人的には、最初の80分が退屈すぎて、観るのをやめたくなるような映画でもありました。
ここから、前半のつらさと、後半に盛り返して受賞にも納得できたポイントの両面について語ってみたいと思います。
あらすじ

ニューヨークでストリップダンサーをしながら暮らすロシア系アメリカ人のアニーことアノーラは、職場のクラブでロシア人の御曹司イヴァンと出会い、彼がロシアに帰るまでの7日間、1万5000ドルの報酬で「契約彼女」になる。パーティにショッピングにと贅沢三昧の日々を過ごした2人は、休暇の締めくくりにラスベガスの教会で衝動的に結婚する。幸せ絶頂の2人だったが、ロシアにいるイヴァンの両親は、息子が娼婦と結婚したとの噂を聞いて猛反発し、結婚を阻止すべく、屈強な男たちを2人のもとへ送り込んでくる。ほどなくして、イヴァンの両親もロシアから到着するが……。
映画.comより一部抜粋
ポルノとパリピの40分、ギャーギャーうるさい40分

最初の80分が個人的にダメだったのは、見出しのとおりです。
序盤は、ひたすら性風俗産業の様子と金持ちのクズが騒いでいる様子が延々続く。
と同時に、アノーラとイヴァンの危うい恋愛劇も描かれます。
まず、イヴァンが最初から下品でクズすぎて、客観的に見て彼との明るい未来はとうてい描けないんですよね。
だから、アノーラとイヴァンの乱痴気騒ぎに乗っていけないというのが、一番の苦痛の要因です。
こういう男は大嫌いだが、そんな男になびく女も頭が悪くて好きになれず、どちらにも感情移入ができません。

『プリティ・ウーマン』のリチャード・ギアのような、紳士に見える風貌なら騙されるかもしれないけど、イヴァンの風貌は、典型的な金持ちのボンボン。
親の金で遊んでるだけのヤバい男にしか見えないので、2人が幸せにむかってドライブ感全開な演出で描かれるのですが、すべてを冷めた眼でしか見れず、蚊帳の外に置かれ続ける40分でした。

次の40分は、案の定、2人の関係が壊れ始めます。
自宅に乗り込んできたイヴァンのお目付け役的な男どもとアノーラの乱闘騒ぎ、ドタバタ騒ぎが、信じられないくらい騒々しい。
アノーラがずっと叫んでるんですよ。
罵声の浴びせあいで、Fワードも連発です。
これもあまりにIQが低すぎて笑えない…。
いよいよ辛いので観るのをやめようかと思ったところで、ようやく物語が動き始めて、多少トーンが落ち着いてきた、という、そんな状態でした。
ここまでの評価は正直、最悪の最悪という印象です。
ワンカットで、クラブの中を描くような演出や疾走感のあるBGMの使い方など、映像的には面白いと感じるところはあったけど、とにかく内容がつまらなくて観るのがきつかったです。
(ただし、前半で描かれることは、もちろん後半に関係あるので不要だとは思いません)
評価が一変するのは、ラストのラスト
前半はともかく、この映画、尻上がりに面白くなります。
観た人は全員口を揃えるであろう、ラストショットの衝撃で全部持っていかれます。
しかし一方で、その解釈は悩ましい。
以下、自分なりに、ラストシーンをどう解釈したか書いてみます。

前提として、イゴールはアノーラに気があります。
イゴールの好意は色んな形で、ストーリーの各所に忍ばされていますが、イヴァンの部屋で2人でいるときに、「力になりたい」と言っていたことが、もっともストレートで分かりやすい根拠でしょう。
イゴールは、最後に車を降りぎわに、隠し持っていたイヴァンとの婚約指輪をアノーラに渡す。
彼としては、これは親切心だったのだろうが、アノーラからすると、飛び跳ねて喜ぶわけにはいかない。
トランクを運ぶイゴールを見守りながら、金目当てでイヴァンと結婚した自身の内面・本心と向き合う数秒間になったのではないか。
で、車にイゴールが戻ってきたあとの会話、
「あんたらしい車ね」
「気に入った?」
「いいえ」
これは、イゴールが告白して振られたと解釈できるやりとりに思えます。
(ここでは、車は、イゴールのことでもあると考えられます)
あんたらしいというのは、貧しさを受け入れている彼らしいとも解釈できる。
アノーラは、バックボーン含めた彼を「気に入らない」のです。
ラストシーンの解釈
性的な魅力は、アノーラにとって唯一の武器でもあります。
その自分に対して、わかりやすく飛びついてこない無欲なイゴールのあり方は、アノーラを不安にさせるのでしょう。
アノーラは、イゴールを恋愛や結婚の対象として見ていないが、彼女は彼にまたがってセックスを始めようとする。
これは、さきほどのダイヤモンドに対するお返しでもあり、実は彼女なりの抵抗なのではないか。
ダイヤモンドという形で、自分の心の卑しさを突きつけられたアノーラが、男は結局セックスがしたいんでしょと、逆にイゴールに対して男の本性を突きつけにいった行為にも見えます。
この部分を「ダイヤモンドに対するお礼」と解釈して、風俗嬢である彼女にはその方法しかお礼の仕方が分からなかったと解釈すると、すごく嫌な感じの映画に捉えられてしまいます。
しかし実際は「お礼」であり「おかえし」でもあって、そこにアノーラの負けん気の強さが滲み出していると考えると、なんだかしっくり来るような気もしたのでした。
突然の彼女の行為に戸惑いながらも、イゴールはゆっくりと彼女を受け入れはじめます。
ただ、イゴールはそれをアノーラの「好意」と勘違いし、彼女にキスをしようとする。
しかし、反射的にアノーラは突き放してビンタしてしまいます。
アノーラにとってこの行為は、性的なサービスであるとともに、イゴールの下心を試すためのものであって、愛のあるセックスではなかったからです。
突き放されて戸惑うイゴールを見たアノーラは、自分が彼の下心を試していたのに対して、彼は真正面から愛で応えようとしてくれていたことに気づいてしまいます。
そして同時に、自分の愚かさにも気がつき情けなくなったアノーラは、泣き崩れたのだと思います。

性産業の慣習やルールはよくわからないけど、冒頭から数多のセックスが描かれる中で、アノーラはサービスとしてセックスしているときには、キスを一切していません。
なんならガムを噛んでいることすらある。
劇中では明確に、アノーラがイヴァンとキスをし始めるタイミングがあるのだけど、その瞬間がおそらく、彼女なりに彼と付き合って結婚すると決意した瞬間でした。
価値観の違いや生活習慣の違いに戸惑いながらも、アノーラはイヴァンを受け入れようとしていたのでしょう。
VIPと結ばれてリッチになる幻想を、捨てられないアノーラ

客観的に映画を見ている観客は、イゴールの純朴さに気づき、彼への評価を改めていきます。
アノーラもイゴールの誠実さには気づきはじめていました。
しかし結局、彼女はVIPと結ばれてリッチになるという幻想から逃れられません。
イゴールの乗る「おばあちゃんの車」では満足できない。
アノーラは他人から財産が目当てだと指摘されることに、強い拒否反応を示します。
イヴァンとわかれるときに、コートを脱いで返却してみせるのは、彼女なりに意地をはったということでしょう。
でも、正直なところ、彼女は「富」を諦めきれていない。
その事実は、さきほど触れた、ラストのイゴールとのシーンにつながっていきます。
劇中では、金に執着するアノーラと、純朴なイゴールが対比的に描かれています。
アノーラは、金持ちの世界に入ることを拒否され、かと言って、イゴールのように貧しさを受け入れて生きることもできない、人生の袋小路に囚われています。
虚無感に包まれる無音のエンドロールは、アノーラの行き場のない孤独を表しているかのようでした。
騒々しかった前半の展開が、嘘のような静かな幕引きです。
前半の粗野で露悪的な印象が一変し、一人の女性の生きづらさを鋭く描く、人間ドラマへと昇華していく落差は、なるほど受賞作と唸らされるダイナミックな構成だったと思います。