『安楽死特区』ネタバレ感想・考察。物語の結末やラストのラップシーンの是非などについて語っています。

安楽死が許可された特区があるという、「if」の世界を描いた作品。
似たテーマで『PLAN75』という作品も話題になりましたが、こちらは年齢が区切りだったのに対して、本作は年齢の基準はありません。
病気の苦痛などにより自死を希望する人であれば年齢関係なく、安楽死が認められる可能性のある世界観です。
本作の主人公、酒匂章太郎は30代ですが、パーキンソン病からの解放を求めて安楽死を希望します。
重いテーマに対して重い回答が提示される結末となっており、終始、息苦しくはありますが、映画的な演出も効いており、最後まで見ごたえがありました。
章太郎のラッパーという設定も、安楽死というテーマと上手く溶け合っていました。
- あらすじ
- リアリティある「医師」の存在感
- 認知症から逃れるために、安楽死を望む老婆
- 「反転」というキーワード。章太郎の心変わり
- ラストのラップシーンについて
- 章太郎の最期について(重大なネタバレあり)
- エンドロール後のドキュメンタリー映像について
あらすじ

「安楽死法案」が可決された近未来の日本。国家戦略特区として、安楽死を希望する者が入居しケアを受けられる施設「ヒトリシズカ」が開設されたが、倫理と政治の最前線で物議を醸す存在となっていた。難病を患い余命半年を宣告されたラッパーの酒匂章太郎は安楽死法に反対しており、パートナーでジャーナリストの藤岡歩と共に、特区の実態を内部告発することを目的に「ヒトリシズカ」に入居する。施設には、末期がんに苦しむ池田とその妻・玉美、認知症を抱える元漫才師の真矢など、さまざまな境遇と苦悩を抱える入居者たちが暮らしていた。彼らとの交流や医師たちとの対話を通じて、章太郎と歩の心は少しずつ変化していくが……。
映画.comより一部抜粋
リアリティある「医師」の存在感

本作の安楽死特区「ヒトリシズカ」に在籍する医師たち(奥田瑛二・加藤雅也)は、当初、無機質で冷たい存在のように見えますが、物語の進行とともに彼らの胸の内も垣間見えて、最終的には人間的な人物像が浮かび上がります。
この医者に対する印象は、自分が患者として接するときの感覚にわりと近く、原作者が医者であることから、リアリティのある医師像が形作られているのだと感じました。
認知症から逃れるために、安楽死を望む老婆

元漫才師の真矢(余貴美子)は、 認知症により大切な人の記憶が失われる前に人生を終わらせることを望みます。
彼女の漫才の相方の存在や病死した娘と思しき人物の写真など、健在だったときの真矢を思わせるエピソードが断片的に提示され、最後には、彼女は安楽死を断念します。
そして、施設から退去する際に、なんと死んだと思われていた彼女の娘らしき人物が迎えに来るのです。
これはかなり意表を突かれた展開でした。
ヒトリシズカという施設は、安楽死の前に最低3回の面談を行い、その安楽死希望が適切かどうかを判断する仕組みになっています。
彼女はすんなりとは安楽死が許可されなかったわけですね。
でも、結末を知るとそれもそのはずで、施設に来た時点で彼女はもう家族の記憶を失ってしまった後だったことが、最後の最後に示されるのです。
残酷だけど、認知症のリアルを描いた厳しい表現だと感じました。
「反転」というキーワード。章太郎の心変わり

冒頭の酒匂章太郎のラップのリリックで「反転」という言葉が印象的に提示されます。
これは後々に、章太郎自身がパーキンソン病の進行にともない、安楽死に反対する立場から賛成(安楽死したい)へと、彼の信念が反転していく様ともつながっていく。
心変わりの理由は、彼にとって生きがいだったラップが、病状の進行にともない不自由になりつつあること。
加えて、将来、自分が寝たきりで生きながらえることで、恋人の藤岡歩の人生を奪ってしまうのを恐れたこともあるでしょう。
向かい合って、章太郎と歩が会話するシーンでは、生きて欲しいと願う歩が過去に向い、死にたいと主張する章太郎が未来を見据えているという画面構図になっており、言動と立ち位置の食い違いが、ドラマ的な盛り上がりを演出していました。
ラストのラップシーンについて
葬儀の参列者たちがラップをするシーンは、最初、面食らったものの、ミュージカル演出の一種であると受け入れました。
酒匂章太郎が、自分らしく納得感をもって逝けたことを現しているのだと思います。
最後、葬儀車の後部座席に座る歩の向きが、前述の章太郎とやりとりしていた時とは「反転」しており(かみ手を向いており)、彼を送ったことで未来に心を向けられるようになったのを予感させます。
いきなり参列者がラップを始めるなどトリッキーな演出をはさみつつも、最後はしっかりと、映像として美しく締めくくられていたように感じました。
章太郎の最期について(重大なネタバレあり)

安楽死が許可された特区にあっても、安楽死の法的な死因は「その他(自殺など)」扱いとなることが、施設内で知り合った池田和行の安楽死を通じて示されます。
もともと、章太郎と歩は自死に対して否定的な思想を持っていました。
しかし、現実問題として、章太郎の病状は限界を迎えつつあり、自らの思想よりも生きることの苦しさが勝りつつある状況。
そこで2人は話し合って、ある結論に至ります。
通常、安楽死の際には、被験者は、モニターされた個室で服毒し死に至ります。
章太郎の場合は、パーキンソン病により自力での服毒が難しいので、歩が介助をゆるされます。
自分はここで歩が毒を飲んでしまうのではないかと、ハラハラしながら見守っていたのですが、結末は想像の斜め上をいく展開でした。

歩が、章太郎に別れのキスをするのだけど、なんとキスによって彼の呼吸をさまたげ、ゆるやかに窒息死させてしまったのでした。
この状況は録画されていますし、後にどのような解釈がなされるのか、歩が罪に問われるのかもわかりませんが、章太郎は自死ではない死を迎えます。
章太郎が息をひきとったあと、歩が監視モニターを振り返り、監視者である我々をじっと見つめる。
歩の眼差しによって観客は、自死と他殺の狭間にある「何か」を目撃してしまったのだと気づかされるのです。
エンドロール後のドキュメンタリー映像について
エンドロール後に、安楽死が認められているスイスに渡って、安楽死しようとしたが思いとどまった経験のある方と監督との対談映像が流れました。
普段の自分なら興味をもたなかったと思いますが、映画を観終わった直後で、心の準備が整っていたのだろうと思います。
映画の内容を思い出しながら、安楽死の一歩手前まで進んだ方の体験談を興味深く拝聴させていただきました。
★安楽死を扱った作品