NHK朝ドラ『ばけばけ』ネタバレ感想です。

描かれる時代は明治だが、不思議と「今」に重ねられるテーマが多い作品だった。
武士の時代の終わりは、AI登場によるホワイトカラーの終わりと重なる。
川の「向こう」と「こちら側」は、格差による分断だ。
没落後、社会の変化に適応できたトキは豊かになったが、変化に適応できなかった雨清水タエはホームレス同然の生活となった。
後にトキにより資金援助を受けて生活を立て直すが、それはベーシックインカムや生活保護の支給のようだ。
トキは変化を受け入れ、たくましく生きた

トキは異人を恐れず、好奇心をもってヘブンに接した。
結果的に、トキはヘブンとの縁に恵まれ、生活資金に困らない身分となっていく。
彼女は武家の娘でありながら、その気負い(プライド)がない。
家が貧しくなれば、当然のように内職をして日銭を稼いだ。
ミニマルな生活を基本とし、金銭的な豊かさを人生のKPIとしていない。
ヘブンが大学の仕事を失ったときも、これで本を書く時間ができると歓迎した。
これまでの社会常識が覆され、世の中の価値観が大きく転換していく時代に、人はどのように生きていくべきなのか。
その答えを本作の主人公であるトキが、提示してくれたと思う。
ヘブンは西洋人の特権を捨て、日本人となった

ヘブンは西洋人である自身の立場とベストセラー作家という野望を捨て、牛清水八雲となった。
彼は、日本人として、トキの夫として、父親として生きることを選んだのだ。
この構造は、序盤でおじじ様やトキの父親が武士の肩書と地位を失い戸惑った状況ともリンクしている。
武士は長らく特権を与えられた存在だったが、幕府が滅び、その権力を失った。
ヘブンは西洋人としての特権を捨て、日本人として生きることを選択した。
そして後に、西洋人であることの希少性が世の中から失われ、教授の職を失った。
いま手にしているものを失ったときに、人は何をよりどころに生きていくべきか。
金銭にも名声にも固執せず、笑ったり転んだりの凸凹な人生を面白がりながら生きるトキの一家の姿は、これからの幸福のロールモデルだと思えた。
ヘブンはフロックコートを着るのが嫌いだったが、トキが「フロッグ(蛙)コート」と勘違いしたのをきっかけに、彼はそれを楽しみ始めた。
このエピソードは、ヘブンのトキへの愛情を示す裏付けにもなったが、同時に、家族の存在がその人の価値観や幸福にどれだけの転換をもたらすものかを、象徴的に描いていたと思う。
ネットもSNSもなかった時代に…

最終話に向けて、朝ドラ的な鮮やかな物語展開も見せてくれた。
ヘブンは自身にとって遺作になるであろう「Kwaidan」をトキのために書いた。
トキは彼の死後、ヘブンとの思い出を「思ひ出の記」として残した。
この並列構造はいかにも物語的で美しい。
2人は英語と日本語でコミュニケーションに不自由なところもあったが、気持ちは深く通じ合っていた。
ヘブンの同僚とその妻の描写は、ヘブンとトキの関係を鮮やかに見せるための対比として描かれたのだろう。
彼らは英語で流暢に会話していたが、想いは通じ合っていなかった。
ヘブンを訪ねてきたイライザは、彼の遺作が「Kuwaidan」であることに失望と怒りを覚えていたようだが、ヘブン自身はこの結末に納得していた気がする。
彼は最後に、愛する妻や子どもたちに自分の書いた本を読んでもらいたかった。
錦織の弟によって翻訳された「Kuwaidan」を楽しそうに読む、トキの姿を見た時点で、ヘブンの魂はもう成仏していたのではないかと思える。
ベストセラーのような世間的な評価を求めることは、必ずしも人生の幸福にはつながらない。
目の前の大切な人を笑顔にすることで、最後に、ヘブンは幸福と充足をかみしめた。
ネットもSNSもなかった時代に、魂が惹かれ合うような唯一無二の「同志」に出会うことができた2人は幸運だった。
そして、ヘブンの親友である錦織の存在は、その「同志」が、妻や夫である必要がないことも示してくれている。
戦争や格差、AIによる生きがいの消失など、多くの社会問題を抱える2026年のいまこそ観るべきだと思える、素晴らしいテーマの作品だった。
最後に一言
作品を映した主題歌『笑ったり転んだり』は、タイアップとして出色の完成度だと思う。
たった1曲で、見事に本作を包括している。
なかでも「黄昏の街 西向きの部屋 壊さぬよう戸を閉めて~」から始まる最後のフレーズは、放送の最終週、何度も歌詞が思い起こされた。
「今夜も散歩しましょうか」の締めが、ドラマの終わりとシンクロしているのも粋な計らいだ。