『秒速5センチメートル』のネタバレ考察です。手紙の内容や貴樹と明里がどうして疎遠になってしまったのか等、本作が描きたかった内容を読み解きます。

秒速5センチメートルがついに実写化。
ということで、久しぶりにアニメ版を鑑賞しました。
観始めて、「そうかこの映画60分しかない作品だったのか」と驚き。
もっと尺の長い映画に感じていました…
さて、この作品、未だに多くの人に誤解されているように思います。
主人公の貴樹は、明里に対して未練があるのに、「会いにも行かず、ウジウジし続けているのが理解できない」といった捉え方をされているのを、しばしば見かけます。
でも、自分はそうじゃないと考えています。
いま一度、実写映画の公開前に、備忘録として、本作で描かれているものは何だったのかを整理しておきたいと思います。
- あらすじ
- 彼女への未練を描いた物語ではなく「別れに失敗した」物語
- 「別れを伝えるため」に会ったはずの2人だが、予定がくるってしまった
- 2人は、出会う前には別れる決意をしていた
- 2人の文通は、いつ、どちらから止めたのか
- 「あの夜」を境に、2人の距離は離れはじめた
- 本作が描きたかったテーマは、「失恋の時差」ではないか
- 貴樹が打つメールの文面から、明里とのすれ違いが浮かび上がる
- 打ち上げロケットと貴樹と花苗
- “どれほどの速さで生きれば、きみにまた会えるのか。”
※実写映画版の感想もあります
あらすじ
互いに思いあっていた貴樹と明里は、小学校卒業と同時に明里の引越しで離ればなれになってしまう。中学生になり、明里からの手紙が届いたことをきっかけに、貴樹は明里に会いにいくことを決意する(第1話「桜花抄」)。やがて貴樹も中学の半ばで東京から引越し、遠く離れた鹿児島の離島で高校生生活を送っていた。同級生の花苗は、ほかの人とはどこか違う貴樹をずっと思い続けていたが……(第2話「コスモナウト」)。社会人になり、東京でSEとして働く貴樹。付き合った女性とも心を通わせることができず別れてしまい、やがて会社も辞めてしまう。季節がめぐり春が訪れると、貴樹は道端である女性に気づく(第3話「秒速5センチメートル」)。
映画.comより一部抜粋
彼女への未練を描いた物語ではなく「別れに失敗した」物語
いきなり結論から書くとこれだと思っています。
本作は、一見すると貴樹がうじうじと彼女を想い続けて未練がましく見えますが、実はそうじゃない。
本来なら別れるべきタイミングで、きちんと「別れきれなかったことの苦悩」が描かれている物語なのです。
「別れを伝えるため」に会ったはずの2人だが、予定がくるってしまった

貴樹が、電車に乗って栃木まで会いに行った冬の日、雪のせいで列車が遅れに遅れます。
もう会えないかもしれない…、とお互いが絶望したところからの、ホームでの奇跡的な逢瀬。
本来はこの日、貴樹が鹿児島に転校する前に、最後に1度だけ会って、お互いにお別れを言い合うつもりだったはずなんです。
しかし、2人で毛布にくるまって世を明かし、大きな桜の木の下でキスするという、予想外に関係が進展してしまったために、2人の心の予定がくるってしまったのです。
2人は、出会う前には別れる決意をしていた

明里は、人見知りする性格で、転校した栃木の学校に馴染めずにいました。
でも、いざとなれば電車で貴樹に会いに行くことができるという気持ちから「貴樹離れ」ができないまま学生生活を送っていました。
ところが、貴樹が鹿児島に転校すると知って、彼女はいよいよ覚悟を決めたのです。
彼が鹿児島に行ってしまったら、もう簡単に会えるような距離じゃなくなる。
貴樹にはもう頼れない、一人で頑張って生きていくのだ、と。
アニメだと、ここの描写が非常に曖昧に描かれるため解釈に難航するのですが、実は小説版にヒントがあります。
小説版には、あの日、お互いが渡せないままになってしまった手紙の文面が記載されているのです。
そこにはお互いの相手への好意とともに、お別れの挨拶がしたためられています。
※こちらに手紙の全文を転記している方がいます。
参考のために、以下に一部を引用します
明里の手紙の抜粋
そしてもうすぐ、貴樹くんはもっとずっと遠くに引っ越してしまうことも、私はとても悲しいです。
今までは東京と栃木に離れてはいても、
「でも私にはいざとなれば貴樹くんがいるんだから」ってずっと思っていました。
電車に乗っていけばすぐに会えるんだから、と。
でも今度の九州のむこうだなんて、ちょっと遠すぎます。私はこれからは、一人でもちゃんとやっていけるようにしなくてはいけません。
そんなことが本当に出来るのか、私にはちょっと自信がないんですけど。
でも、そうしなければならないんです。
私も貴樹くんも。そうですよね?
貴樹の手紙
大人になるということが具体的にはどういうことなのか、
僕にはまだよくわかりません。でも、いつかずっと先にどこかで偶然に明里に会ったとしても、
恥ずかしくないような人間になっていたいと僕は思います。そのことを僕は明里に約束したいです。
明里のことが、ずっと好きでした。
どうか どうか元気で。
さようなら。
手紙の文面を見ると、お互いに別れを意識していることがはっきりと理解できます。
ただ、2人の予想に反して、恋が思いがけない盛り上がりを見せてしまったことで、お互いに、別れのニュアンスを含む手紙を渡すことができなかったのです。
2人の文通は、いつ、どちらから止めたのか
別れきれなかった2人は、貴樹が鹿児島に転校したあとも手紙のやりとりを続けます。
ラスト付近で、山崎まさよしの「One more time one more chance」をBGMとして、次々と2人の映像が流されますが、そのなかにお互いが空のポストを見て「手紙がきてないなぁ」というリアクションをしているシーンが挿入されていますよね。
これが手紙のやりとりについて考えるためのヒントになります。


お互いの「来てないなぁ」というリアクションが挿入されていることから、どちらかが一方的に手紙を止めたのではない、と想像できます。
つまりこの映像からは、お互いに手紙をやりとりする頻度が次第に落ちていき、最後には関係が自然消滅したことが描かれていると解釈できます。
「あの夜」を境に、2人の距離は離れはじめた

これは想像ですが、明里は貴樹の転校後に頑張って独り立ちしたことで、だんだん周囲の人と人間関係ができ始めて、以前の手紙のやりとりで貴樹が感じていた「明里はいつも一人で手紙を書いているように感じる」という状況ではなくなっていったのでしょう。
明里は貴樹に依存しなくなっていくのです。
2人の心の距離は、「あの夜」を境に少しずつ離れ始めます。
おそらく貴樹が感じていたであろう、手紙をやりとりする中で、相手が少しずつ遠ざかっていくような感覚は、鹿児島の学校で貴樹に想いをよせる同級生の澄田花苗が、「貴樹を遠く感じてしまった」のと、類似の感覚だったと思います。
かくして、2人の関係は自然消滅しました。
自然消滅なので、わかりやすい恋の終わりを経ていないことになります。
お互いに「別れよう」と伝えあったわけではありません。
だから、2人の関係は「別れた」とも言えるし「別れてない」とも言える。
あるいは、そもそも「付き合ってすらなかった」とも言える、という曖昧な状況になってしまいました。
この展開こそが本作を、煮え切らないウダウダした印象にしているとも言えます。
本作が描きたかったテーマは、「失恋の時差」ではないか

本作が描いているのは、男女の間に起こった「失恋の時差」のようなものだと感じます。
明里は、あの夜を境に独り立ちを決意しています。
一瞬、映し出される卒業式の映像から、高校卒業の時点では、明里は悲しげな表情をしていることが分かります。
おそらく、高校に入って以降のどこかで手紙のやりとりが途絶え、明里は失恋の辛さを抱えていたのだと想像できます。
しかし、その後の大学・社会人の姿が描かれるなかで、彼女は別の男性の腕を抱き、笑いかけています。
高校卒業とともに、過去の恋愛に区切りをつけたのだと思います。
一方、貴樹は、すぐに気持ちを切り替えることができませんでした。
というより、自分が失恋して傷ついている自覚がなかったのでしょう。
だから誤解を恐れず言えば、貴樹に未練はなかったのだと思います。
不思議な恋愛の始まりをして、それが何となく自然消滅して終わってしまったことで、未練すらうまく感じられないような状態に陥ってしまったのです。
だから、明里との別れを消化するのに、長い長い時間がかかってしまいました。
貴樹が打つメールの文面から、明里とのすれ違いが浮かび上がる
コスモナウト編で、貴樹が送る宛のないメールを打っているシーンありますよね。
あのときの文面がこれなんですけど、彼が順調に拗らせていっているのを象徴するような内容だと思いませんか。

貴樹は、栃木で彼女と一夜を明かした日にも、ポエミーな独白をしていました。
あの冬の夜に明里と出会い、キスする仲になるまでの、1日にも満たない時間の中での濃密な体験が、幼かった貴樹には鮮烈すぎたのでしょうね。
メールの文面は、当時に輪をかけてポエミーになっています。
その文面から、あの鮮烈な1日を引きずり続けて、現在に至っていることがよくわかりますし、独り立ちを決意した明里と、手紙でのコミュニケーションがすれ違ってしまったであろうことも想像に難くありません。
なぜなら、明里の心は前に進んでいるのに、貴樹の心は「あの日」で立ち止まっているからです。
それに残酷かもしれないけど、明里が貴樹を好きになったのは、転校してきて一人ぼっちで友達ができなかった彼女が唯一頼れる存在が貴樹だったという点が大きいです。
本来、恋愛に必要な、価値観の一致や性格の馬が合うといった要素が、本当にマッチしていたかは疑わしいものがあります。
あと、貴樹はメールや手紙が下手くそです(笑)
のちに3年間付き合った女性にも、「1000通やりとりしたけど、心は1センチも縮まらなかった」と、とんでもないパワーワードを別れのメールで伝えられてましたけど、昔から、貴樹は傷つくのを恐れて、自分の本当の気持ちを伝えないクセがありました。
上記した手紙でも「明里のことが、ずっと好きでした。どうか どうか元気で。さようなら。」と書いていて、過去形なんです。
好きなまま別れるのが辛いから、本心を誤魔化して、「好きだった“ことにして”」格好つけようとしているように見えます。
自分の感情を伝えるのが苦手な貴樹の性質が、明里とのすれ違いに拍車をかけてしまった可能性は、少し考えてしまいます。
ちなみに、さきほど引用した手紙の文面。
明里のほうが全体のごく一部でしたが、貴樹のは紹介したあれで全文です。
中学1年の男子だからしょうがないけど、彼が思いを伝えるのが不得手なことは間違いないでしょう。
打ち上げロケットと貴樹と花苗

あの夜の日から前を向いて生き始めた明里と、あの日に立ち止まってしまった貴樹の距離は少しずつ離れ始め、やがて手紙を交換する頻度が減っていきます。
そしてついには、手紙の交換が途絶え、疎遠になっていく。
この2人の距離が離れることで、メッセージが届かなくなっていく構造は、まさに、新海誠監督の初期作品である『ほしのこえ』を彷彿とさせます。
ほしのこえで描かれる、宇宙船にのって地球から遠ざかっていく美加子と地球にいる昇とのメールのやりとり。美加子が地球からどんどん遠ざかることで、送受信の間隔が開いていく展開は、未来に進んでいく明里と立ち止まっている貴樹の関係に重なります。
狙い済ましたかのように、貴樹と澄田花苗が、ロケットが打ち上げられるのを目撃するシーンがありますよね。
あれは貴樹も花苗も、飛び立ち遠ざかっていくロケットを立ち止まって見送ることしかできない、という、現状の2人の立ち位置を写し取った描写になっています。
このあたり、新海監督の演出は神がかり的に上手いです。
“どれほどの速さで生きれば、きみにまた会えるのか。”

後に貴樹は、東京の大学に進学し、明里との物理的な距離は縮まりますが、結局、会いに行くことはしません。
2人の心理的な距離は離れたままです。
ポスターに書かれたメッセージ「どれほどの速さで生きれば、きみにまた会えるのか。」は、ここにつながります。
貴樹は、さきほど書いたように、自分が失恋したことにちゃんと気づけていません。
ただ「何かに」追いつこうと思って、大学卒業後に生き急ぐようにがむしゃらに働き始めます。
そして、彼の胸の中にある想いが、失恋だと自覚されきらないままに長い年月が過ぎ、ラストシーンでついには風化した、という「こじらせの極地」が描かれます。
電車が通り過ぎた後、踏切の向こうに女性はおらず(明里の影が消え、吹っ切れた)、だからこそ、再び歩き始めた貴樹は、すっきりした表情をしていたのだと思います。
“貴樹君なら、きっと大丈夫”
ずいぶん時間がかかったけど、あの日、明里が貴樹に伝えたように、彼はここからまた、目の前の大切な人たちと向き合っていけるはずです。
そんな、ささやかな希望が提示されて物語は幕を降ろします。
決して、彼女に未練を残した貴樹が、人生を棒に振る物語などではないのです。
新海誠監督と言えば、『君の名は』以降の作品が大ヒットして、それ以降の作品しか観ていない人も少なくないと思うけど、個人的には、“アニメ作家の新海誠”としては、本作が最高傑作だと思っています。
実写映画は、新海監督も絶賛しているようなので非常に楽しみです。