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『ちょっと思い出しただけ』感想:男女がすれ違い別れていく様を、奇跡的な繊細さで描いた、恋愛映画の傑作

映画『ちょっと思い出しただけ』のネタバレ感想・考察です。2人のすれ違いの様子や元ネタになった映画『ナイト・オン・ザ・プラネット』との関係についても解説します。

映画『ちょっと思い出しただけ』

本作の物語は、葉と照生の記憶を、1年ずつ過去に遡っていく形式で描かれます。

照生の誕生日である7月26日が、過去に遡りながら定点観測されていく。

いまは別れてそれぞれの生活を送る2人が、別れて、付き合って、出会う様子を、通常の恋愛とは逆の順序で、追体験する不思議な作品です。

 

タイトルのとおり、追体験する内容は、2人が「ちょっと思い出した」過去の記憶の欠片という設定です。

しかしそれは、照生の誕生日を起点に回想されることから、男性にとっては「愛された記憶」であり、女性にとっては「愛した記憶」とも言えるもの。

2人の記憶を通じて、男女の人生観、恋愛観の違いが浮き彫りにされていく物語となっています。

 

愛された想い出、愛した想い出

照生の視点では、「朝のラジオ体操」「彼女が残した猫」「公園のベンチに座るおじさん」「プレゼントでもらったバレッタ」「いっしょに観た映画」「路上で聞いた音楽」など、自分たちの周辺にあったモノ・コトのなかに、葉との思い出が分散しているような描かれ方をします。

彼の生活には、葉と別れたあとも、彼女の痕跡が残り続けています。

 

対して葉は、偶然、閉館後の舞台で照生が踊るのを目撃して、初めて彼のことを思い出します。

彼女は照生を目撃したその日、仕事終わりにケーキを買って帰りますが、夫に、いま食べないのかと聞かれて明日(照生の誕生日の翌日)でいいと答えます。

それは、葉にとって照生との思い出は、本当にちょっと思い出して感傷的になっただけのことであり、いまの彼女には夫と子どもとの生活こそが重要だからなのでしょう。

 

もちろん2人は、葉の誕生日にもケーキを買って祝っていたはずですが、想い出として描かれるのは、照生にとってはケーキをもらった日であり、葉にとってはケーキをあげた日なのです。

同じ1日のはずだけど、2人にとっては「愛された日」と「愛した日」の違いがある。

そこがとても、エモーショナルなところだと思います。

別れた日の記憶

2人の別れが決定的となった日。

葉は花束を捨てたが、照生は一人でケーキを食べました。

想いを断ち切った葉と、消化できなかった照生の姿は対照的です。

別れたあと、見送る照生をバックミラーごしに見ながら、葉は「追いかけて来んのか」と毒づきます。

葉は、大切なことは言葉にしてもらわないと分からないと言います。

その一方で、葉の思考は想像力にかけていることもはっきりと示される。

 

足を怪我している照生が追いかけられるわけがないのです。

それに、足を怪我して夢だったダンスの道が絶たれた絶望的な状況の彼に、

「今後どうしていくかは一緒に考えよう」

「私はダンスをしていない照生との生活も想像できる」

「なぜ相談してくれないの」

とあれこれ言葉をかけているが、どれもこれもが照生からするとキツイ言葉ばかりです。

葉は、照生のことを、「自分のことばかり考えている」と非難しますが、彼女も結局は、自分の描きたい未来のことしか見えていないのです。

 

一方で、子どもを望む葉の気持ちに気づきながら、自分の夢を優先し続ける照生にも身勝手な一面があります。

彼は1年前にプロポーズすると約束しながら、ダンスのことで頭がいっぱいで、そのことを忘れていたのです。

 

ケガのことがあるから考えを整理したい、ちょっと待って欲しい、と照生は言います。

でも、葉は「2週間も待ったじゃない」と言う。

これ、彼女の感覚的に、待ったのは2週間どころじゃないんですよ。

葉はさきほど書いたとおり、照生との将来を描きたいと考えていて、すでに1年待っているんです。

だから無意識に、照生に対しての言葉や要求がキツくなってしまう。

 

足のケガを起点に話している照生と結婚や出産を思い描いて1年前から待っていた葉とでは、認識が決定的にズレているのだから、このあと2人が口論になって別れてしまうのは、もう止めようがない必然だとも言えます。

 

照生は結婚のことをすっかり忘れているのだけど、一方で、彼女とすごした何気ないこと(葉からすればとるに足らないこと)は、よく覚えていました。

たとえば、いっしょに観た映画のセリフ。

帰り道に路上で演奏されていた音楽など。

車中で、照生が2人で観た映画のネタを葉に振るけど、スルーされてしまったのは切ないですね。

(映画を観ているときの観客は、2人の記憶を遡っていく中で、「あの言葉はここからの引用だったのか!」と、その事実にあとから気づくのですが)

 

2人の想いがすれ違ってしまうのは、葉は「自分と照生を中心に考えていた」けど、照生は「ダンスを中心にして、そこに自分と葉がいる」という考え方をしていたからだと思います。

ダンスがあってもなくても2人の進む道は変わらないと思っている葉と、ダンスのある人生とダンスのない人生は大きな分かれ道になると思っている照生。

2人に見えている景色は、まったくの別物なのです。

当人たちにとっては悲劇かもしれないけど、2人のすれ違いの構造は、物語としてとても美しく感じられました。

劇中に登場する、映画『ナイト・オン・ザ・プラネット』との関係

劇中で葉と照生が観ていた映画『ナイト・オン・ザ・プラネット』は、尾崎世界観さんの楽曲「ナイトオンザプラネット」の元ネタであり、本作はその楽曲が元になって脚本が執筆されています。

 

映画『ナイト・オン・ザ・プラネット』は、オムニバス形式で、5つの都市のタクシードライバーと乗客のエピソードが描かれる作品です。

葉が客を乗せて走る場面で、この映画のいくつかのシーンがオマージュされています。

 

本作の劇中では、ウィノナ・ライダーが運転するタクシーに、映画のキャスティングをしている女性客(ジーナ・ローランズ)が乗ってくるシーンが何度か登場します。

運転するウィノナ・ライダーに、ジーナ・ローランズが「あなた、映画スターにならない?」と誘いをかけるが、彼女は「整備工になる目標があるからイヤよ」と断るのです。

 

ここでの2人の立場を葉と照生におきかえると、別れの日に照生がした「あなた、映画スターにならない?」という問いかけの切実さに心震えます。

その問いかけは、過去に葉と照生が車中でかわした、無邪気な会話の再演であるとともに、彼なりの「まだはっきりとは伝えられない、超遠回りな、彼なりの告白のような何か」だったとも感じられます。

(まぁだから、葉の視点だと、はっきり言葉で言わないと伝わらない…って話に立ち戻るのですが…)

照生の問いに対して、葉が「イヤよ」とも「OK」とも答えず「スルー」したのは、2人のすれ違いが、いよいよ決定的となった瞬間だったのかもしれません。

 

ジーナ・ローランズは、降車時にも改めて彼女を説得しようとしたけど、やはり断られ、ウィノナ・ライダーが走り去るのを残念そうに見送ります。

照生は降車時に「いっしょにケーキを食べよう」と声をかけたけど、葉は受け入れず車を発車させました。

 

本作が、『ナイト・オン・ザ・プラネット』にインスパイアされて作られた映画だとしたら、この瞬間が、2人が対面する最後の瞬間になっているのは、必然だったと思います(もちろん、照生が走り去る葉を追いかけないことも)

葉と照生の関係もまた、ドライバーと乗客のように、たまたま人生の中で乗り合わせただけの、ひとときの関係だったということなのでしょう。

 

長々と感想を書いてしまいましたが、本当にいい映画です。

恋愛ジャンルの中では、個人的にベスト級の作品。

男女の出会いと別れを、美しく捉えた傑作だと思います。

余談:2人のいきつけのバーについて

劇中に登場する、2人が訪れるバーのマスター(國村隼)がゲイなのは、男女の間に立つ、中間的な存在を描きたかったからではないかと思います。

彼は、葉には饒舌に恋愛アドバイスをするし、照生には多くを語らず、誕生日に一人でバーに訪れた彼には、さりげなくケーキをご馳走します。

それぞれ、付き合う前のフォローと、別れた後のフォロー、です。

こんなところにも、男女の対比が忍ばせてあるのが心憎い。

2人のどちらかが、マスターがしたように、少しでも相手側に歩み寄ることができたなら、きっと関係は上手くいったのだろうけど、それができないのが葉であり照生なのでしょうね。

 

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