「劇場版 名探偵コナン 隻眼の残像」ネタバレ感想です。今回、フィーチャーされた毛利小五郎の物語上の扱いなどについて語っています。

コナンファンとは言わないまでも、子どもの頃から毎年1回、劇場・配信は問わず、コナン映画は全作品観ているので、少なくともコナン映画ファンではあります。
今回も、十分面白かったです。大満足。
でも、言いたいこともあるので、そこを重点的に書きます。
半分、愚痴みたいなものですね。
- 大多数が期待するテーマを、あえて描かない試みが裏目に出た
- 毛利小五郎は、コナンの世界の中では、極めて“凡人”に近いが…
- 毛利小五郎の魅力は、カッコ悪い役を引き受けられること
- コナン映画のフォーマットに、無理に当てはめようとしすぎた
- カッコいいとは、そういうことじゃない
- 見たかった、おっちゃんの活躍ぶりは、たぶんこういうこと
大多数が期待するテーマを、あえて描かない試みが裏目に出た
本作は脚本が批判されがちですが、個人的にはちょっと捉え方が異なります。
脚本の品質自体は、いつものコナンクオリティだったと思います。
序盤で状況説明や登場人物の紹介をすませて、中盤にかけて事件が発生、事態が深刻化。探偵パートで事件が解決され、最後にスペクタクルという構成で一貫しています。
(今回のラストの司法取引の制度に物申す、みたいなドラマの相棒っぽい展開は賛否ありそうだけど)
脚本の“品質”自体は決して悪くなかったと思います。
ただ、それでも批判の声が挙がるのは、結局のところ、大多数が期待するものを描かなかったからなのでしょう。
黒の組織や灰原哀、赤井さんや安室さん、怪盗キッド、蘭と新一の恋愛模様などなど、ファンの関心の高いトピックは明確にあるので、裏を返せばそれを外したテーマは、興行として盛り上げが難しくなりがちです。
毛利小五郎のことは嫌いじゃないけど、心の中のキャラクターランキングで言うと正直かなり下位です。(すまん。毛利のおっちゃん…)
とまぁ、単純なキャラクター人気による難しさもありつつ、今回、フィーチャーしようとした「毛利小五郎」というテーマが、コナン映画のフォーマットで見せるにはちょっと難しかったのだとも思います。
毛利小五郎は、コナンの世界の中では、極めて“凡人”に近いが…
今回は、毛利小五郎にスポットライトが当たる物語である以上、彼をカッコよく見せたいじゃないですか。ただ、どんなふうに見せるとカッコいいのか、その選択をミスってしまったのかなぁ。
たとえば、赤井さんのような渋いカッコよさも違うし、安室さんのような色気のあるカッコよさも彼には似合いませんよね。
じゃあ、毛利小五郎の格好良さとはいったい何なのか??
毛利小五郎の魅力は、カッコ悪い役を引き受けられること
個人的には、信念や強い想いがあって、目的のためなら“カッコ悪い役回りを引き受けられる”泥臭さが、毛利小五郎の大人のカッコよさだと思いたいです。
毛利小五郎は、コナンや平次のようにスマートな推理ができないし、安室さんや怪盗キッドのような派手なアクションもできません。おまけに酒癖が悪くてギャンブルが好きで、美女にも弱い。
でも、いざというときには命を張って人を守れる行動力があって、彼なりの正義や信念を内に秘めていて。蘭や奥さんを世界一愛している、憎めないダメ親父です。
そんな等身大とは言えないけど、泥臭くて人間臭いパーソナリティのなかに、毛利小五郎なりの魅力が溢れていると思います。
コナン映画のフォーマットに、無理に当てはめようとしすぎた
劇場版コナンでは、毎回、主演となるキャラが選抜されて、そのキャラクターを魅力的に描こうとします。
ただ、毛利小五郎は、さきほど「極めて“凡人”に近い」と書いたように、キャラクターの中での立ち位置が独特すぎて扱いが難しい。
単純に見せ場を多くして、決め台詞をつけてカッコいいアクションをさせれば映えるようなキャラクターではありません。ビジュアル表現に頼らず内面的な魅力を演出しないと、劇場版ならではの特別な魅力は描けません。
安室さんみたいに、明らかにカッコいいビジュアルで、カッコいい設定で、カッコいいアクションができて、カッコいいセリフを放つキャラクターは、そりゃカッコいいですよ。
だってカッコいいもん(笑)
でも、毛利小五郎のカッコよさは、カッコ悪さのなかにカッコよさを見出すという、禅問答のような、あるいは一回、小学生に戻って高校生まで人生をやり直すくらいの過程を経ないと見えてこない、めんどくさい魅力なのが困ったところです。
カッコいいとは、そういうことじゃない
本作では、実はいつもの小五郎よりも、かなりカッコよく描かれていました。珍しくリーダーシップを発揮して前のめりに捜査もします。
そう。今回のおっちゃんは、いつもよりカッコいいんですよ。
でも、これがちょっと違うなと違和感を感じた理由でもあります。
繰り返しになるけど、毛利小五郎は主要キャラのなかでは極めて凡人(観客)に近い存在なので、安室さんや怪盗キッドにするのと同じように、「見せ場を増やす」という単純な演出方法で、惹きつけようとしたのは無理があったように感じました。
劇中で、小五郎は「遊びじゃねぇんだよ」というフレーズを何度か口にします。
これが決め台詞的なモノなのだろうと思いつつも、過去作での安室さんの「僕の恋人はこの国さ」のような、信条を示した象徴的なフレーズに比べると、どうしても背景不足に思えます。
安室さんとか怪盗キッドなら、彼らの常人離れした能力とビジュアル含めて、そこにセリフを載せることで、十分カッコよく見えちゃうのだと思いますが、同じことをおっちゃんに期待するのはなかなか厳しいものがあります。
見たかった、おっちゃんの活躍ぶりは、たぶんこういうこと
見せ場を作る前段として、小五郎が自分の力のなさを認める試練の時間が必要だったのだと思います。
もっと捜査に行き詰まらせたほうが良かったし、結局、自分では何も解決できなくて、恥を忍んで新一に事件の相談をするなど、「大人的な展開」があれば、他の主要キャラクターたちとは一線を画した、生身のキャラクターに近い魅力を宿せたのではないでしょうか。
解決の真相は蘭と新一だけが知っていて、表向きは小五郎が解決したふうに見えている。
いつものお調子者のノリで「事件解決は、名探偵 毛利小五郎の大手柄」だと、得意げに高笑いする。コナンが呆れながらも、その様子を微笑ましく見守る。ベタだけど、それでいいじゃないですか。
今回は、おっちゃんを無理にヒーローに見せすぎようとして、滑ってる感じがしてしまったのが、唯一の残念なポイントでした。
銃を扱うシーンは良かったんだけどなぁ。
最後、エンディングテーマについても一言だけ。
King Gnuって天才すぎて、ストーリーを音楽的に表現しちゃうので、歌詞でわかりやすく共感できるみたいな感じには必ずしもならないんだろうなぁ、と思いました。つまり、自分には良さがわからず…
日曜劇場の「海に眠るダイヤモンド」の主題歌はめちゃめちゃドラマに合ってたから、あの感じを期待してたんだけど…。
エンディングの吹雪いてるビジュアルに曲が最高にマッチしてたことは確か。でも、King Gnuに期待してたのは、そういうことじゃないんだ。