『名探偵コナン ハイウェイの堕天使』ネタバレ感想・考察。賛否両論な本作の評価のポイントや、萩原千速と横溝重吾の関係についても語っています。

劇場版29作目となる『ハイウェイの堕天使』。
いまのところ劇場版コナンシリーズのなかでは低評価となっているが、個人的には、恒例行事として毎年楽しみにしており、そういう意味では満足できるクオリティだった。
ただ、低評価する人の気持ちを理解できるくらいには、粗さの目立つ脚本だったことも確かだ。
あらすじ
コナンと蘭、園子、小五郎は、バイク好きの世良真純とともに、バイクの祭典「神奈川モーターサイクルフェスティバル」が開催される横浜・みなとみらいに向かう途中、暴走する謎の黒いバイクに遭遇する。その黒いバイクを、神奈川県警交通機動隊の萩原千速が追跡していたが、あと一歩のところで取り逃がしてしまう。コナンたちは横浜のフェス会場に到着するが、そこでは、ある最新技術を搭載した白バイ「エンジェル」のお披露目が行われていた。そんな中、暴走した黒いバイクが今度は都内に出現したという情報が入る。警視庁の追跡も振り切った黒いバイクは、その車体が「エンジェル」に酷似していることから、黒いエンジェル「ルシファー」と呼ばれ、追跡が続けられる。そして千速の脳裏には、弟の萩原研二と、その同期・松田陣平との記憶がよぎっていた。
映画.comより一部抜粋
今回のコナンは、完全なアクション映画

コナン映画の醍醐味はミステリー×アクション×ラブコメ(キャラの魅力)のかけ合わせにある。
だが、本作のシナリオは、伏線を張ることがほとんどできておらず、ミステリーとしての体をなしていなかった。
見るからに怪しい人が、そのまま事件に関与しているというオチは捻りが弱い。
冒頭、モーターショーでの自動運転のくだりは伏線というより、ほぼ答えに近いヒントになってしまっていた。
アクション面でも、50キロ以下で爆発など既視感のある設定が採用されており、冴えない展開だ。
一方で、パトカーが水平に真っ二つになるなど、コナンお馴染みの物理法則を無視した演出はいつも以上に荒唐無稽だった(これについては、千速のバイク走行が現実離れしているので、そこにトーンを合わせたのかもしれない)
萩原千速はヒーローか?ヒロインか?

ゲストの萩原千速は、魅力的なキャラクターだったと思う。
個人的には今後も登場してもらいたいと思うキャラクターだ。
しかし残念ながら、彼女は安室透のようなヒーローにはなれなかった。
本作のアクションが単調だと評されてしまうのは、彼女がバイクアクションしかこなせないことに展開が縛られているせいだと思う。
安室透なら、公安警察官の設定を生かして、カーチェイス、銃撃戦、肉弾戦、スパイ行動など、アクション映画に欠かせない多彩なアクションを演出できる。
彼女には、バイクの扱いは天才的だが「格闘は並みで、銃の扱いはからっきし」という、明確な弱みが与えられている。
バイクの運転中はヒーローのように振る舞っていても、バイクを降りたらヒロインであること(守られる存在であること)が求められる役柄なのだ。
千速が、仮に格闘や銃の扱いにも長けていたとして、それが彼女のヒロイン的な魅力を損なうとは思えないのだが、制作陣はなぜ彼女にこんな設定を与えてしまったのだろう。
人間離れしたバイクテクを持つ彼女も、職務をはなれたところでは一人の女性に過ぎない、というリアリティなのだろうか。
百歩譲って、千速をヒロイン扱いするなら、対になるヒーロー役も欲しいところだが、本作には強いヒーローが不在だった。
ミステリー展開が不発なせいで、コナンの切れ味鋭い推理は冴えわたらなかった(毛利のおっちゃんには、推理を披露する機会すら与えられていない)
バイクが主役の物語のため、お得意のスケボーも出番はほぼない。
結果、バイクアクションがだらだらと続く展開に甘んじている。
映画的には、千速にはより明確にヒーロー的な立ち回りをさせたほうが良かったのではないか。
ラストの横溝刑事によるお姫様抱っこも、そこまで圧倒的なヒーローとして描き切っていたほうが、ヒーローからヒロインへ瞬時に転換する演出のギャップが際立ち、彼女のカッコよさとキュートさが一層引き立てられたと思う。
この辺りの描写は、映画ではなく千速が登場する通常のアニメ回のほうが上手かった。
散々ヒーロー的な立ち回りを演じたあとに、横溝重悟に車で送ってもらおうとするなど、ひとかけらの乙女心が彼女の魅力を輝かせていた。
千速は横溝重吾のどこに惚れている?

アニメ放送から引き続き、千速と横溝、2人の恋のバランスを取ろうと苦心している様子がうかがえる劇場版だった。
さきほど、人間離れしたバイクテクを持つ彼女も、職務をはなれたところでは一人の女性に過ぎないと書いたけれど、千速が格闘や拳銃が得意でないのは、横溝とのバランスをとるためでもあるだろう。
でも、そんなバランスはとる必要なんてないのではないか。
いっそのこと横溝重吾は、警察官として千速に勝てる点が一つもない状態にしてしまったほうが、ドラマ的にはいさぎよいと思う。
(「隻眼の残像」の感想でも似たようなことを書いたが、横溝重吾は毛利小五郎に近い、最高の凡人ポジションだ。フィジカルじゃなくて、眼差しや心根で魅せればいい)
隻眼の残像では、凡人である毛利小五郎を主役においてしまったために、華のないドラマになってしまったのが欠点だったが、今回は千速の存在はスター性があり、その点では大きく成功していたと言える。
一方で、泥臭さを受け持つ横溝刑事の活躍が少なかった。
その相手役を(劇場版だから仕方ないのだが)コナン君に負わせてしまったことで、千速と重吾、2人のバランスは崩れていた。
最後に、重吾が千速を受け止めるだけというのでは、「美味しいところだけ持っていきすぎじゃない?」という見え方をしても致し方ないだろう。
あのシーンが予定調和に見える、と言っているコナンファンも少ならからずいたのは、事件解決のプロセスに横溝重吾があまり関わっていなかったことも影響していたのではないだろうか。
「社会派切り口」と「コナン世界」の相性の悪さ
最近のコナン、路線変更しようとしてる?
前作は司法取引が描かれていたし、今回は自動運転技術の軍事転用が描かれていた。
リアリティのない世界観のなかで、現実の問題を提起されてもピンとこない。
流行を取り入れるのは良いけど、社会派っぽい語りはコナンの世界観に合っていない。
どうしても硬派な路線をやりたければ、まず、時限式の爆弾をカジュアルに登場させるのはやめたほうがいい。
今回で言えば、萩原研二と松田陣平のエピソードに重ねるために爆弾を出しただけで、映画の物語上の必然性はなかった。そんな簡単に爆弾って用意できて、仕掛けられて、都合よく操作できるものじゃないよね?
こういう安直な物語の展開をやめないことには、リアル世界への干渉は無理だと思う。
今回のテーマであれば、自動運転技術が暴走して…それを止めるくらいの物語にしておいたほうが観やすかった。
そのほうが灰原哀も出番が増えただろうし、千速が(生身の人間が)自動運転に勝つという方向で決着させれば、冒頭のデモンストレーションで、彼女が自動運転をオフにしていたエピソードにも腹落ちできた気がする。
次回作は節目になる30本目の作品なので、来年こそは過去最高の作品に期待したい。