🎥 2025年 おすすめベスト映画️ 🔻
📺️ 2025年 おすすめベスト ドラマ️ 🔻


巨匠コッポラの傑作「カンバセーション…盗聴…」感想:赤いコマドリの意味は?最後のサックス演奏をどう解釈すべきか?

「カンバセーション…盗聴…」ネタバレ感想・考察です。赤いコマドリの意味や最後のサックス演奏の意味など解説しています。

コッポラ監督の最新作『メガロポリス』の公開を機に、これまで未視聴だった彼の1974年の作品『カンバセーション…盗聴…』を観てみました。

古い映画ですが、冒頭の盗聴シーンからグイグイ引き込まれる展開で、内容的にはまったく古さを感じない傑作でした。

盗聴を生業とするハリー・コールが、自らの道徳心と職業倫理のはざまで葛藤し、精神を病んでいく様が、スリリングかつミステリアスに描かれています。

 

盗聴がもたらす、孤独と妄想

盗聴のおそれのない自分の部屋で、サックスを演奏するのが、彼にとっての癒やしとなっている

主人公のハリーは、盗聴の世界でも有数のプロです。
ただ、長年の盗聴業により、彼の精神は歪んでしまっています。

その最たるものが、ハリーは、盗聴した会話は言葉通りに受け取るくせに、自分が対面している相手の言葉はまともに受け取りません。

付き合っている女性と話をしているときに、彼女が歌を口ずさみますが、それがたまたま、昼に盗聴していた会話に出てきた歌と同じだったために、ハリーは「なぜその歌を?」と聞くと彼女は「好きなの」と一言。

普通だったら、なんでその歌好きなの?と会話を展開していくところですが、ハリーは心を病んで疑心暗鬼になってしまっているので、彼女が自分をスパイしていると勘ぐって、別れることを決意してしまいます。

表向きは、盗聴をきっかけに、「これから事件になるかもしれない事態」について真相に迫っているような感覚に陥るのですが、ハリーの視点そのものが誤りかもしれないという前提で物語を追っていくと、むしろ大きく間違った方向に話が進んでいくことにハリー本人だけが気づいてないようにも見えてきて、彼の行動や言動から目が離せなくなっていきます。

結末についての個人的な解釈(以下ネタバレ)

本作では、物語の解釈が観た人に委ねられています。

具体的には、最後に描かれる「ある事件」が、果たして実際に起こったことなのか、彼の妄想なのか、判然としない描かれ方をしています。

自分としては妄想だと思っていて、その理由を以下に書いてみようと思います。

理由①盗聴内容は断片的なもので、会話のニュアンスを推し量るのは難しい

盗聴した会話の断片では、たしかに“殺す”という言葉が出てきます。
でも、それって日常会話でも冗談めかして使われることがありますよね。
それを真面目人間であるハリーは、真に受けてしまっているように感じました。

また、冒頭で書いたように、ハリーは盗聴した言葉は素直に受け取るのに、普段の対面の会話はものすごく疑う性質があって、それも含めて、盗聴という不確かなフォーマットで得た情報で、事件の全容の判断など、とてもできるものではないと考えました。

理由②ハリーが疑心暗鬼になる兆候も描かれている

これも上に書いたとおりです。
付き合っている女性と会話しているときに、彼女が何気なく話したことから、実はこの女性は自分のことを探っているのでは?
と心配になって、別れを決意する描写があるように、彼の精神状態が不安定であることがハッキリと示されています

理由③最終的に、ハリーは殺されていない

本当に殺人事件があったのだとするならば、その事実を知る彼は消されると思うのですが、そうなっていないです。

犯人側に、ホテルの殺人をわからないように処理できる能力があるなら、ハリーを消すことも容易なはず。でもそうなっていません。

理由④刺殺を自動車事故に偽装するのは困難

最後のほうで、依頼人(企業の重役)が自動車事故でなくなったと新聞報道されるシーンが出てきます。
ハリーが、殺人現場だと思い込んでいるホテルのトイレから血が溢れる演出は、あれがリアルなら、捜査されないことはなく、依頼人の不審な死との関連が疑われるはずです。

血が溢れるのは、スティーブン・キングの映画などであるような、心象風景としてのホラー演出だと解釈できそうです。

理由⑤自室にしかけられたはずの盗聴器が見つからない

ラストシーン。ここが決定的でした。

ハリーが自室でくつろいでいると、電話がかかってきて、
「気づいたようだな。だが、深入りはよせ。盗聴しているからな」
と男の声が聞こえ、さきほど吹いていたサックスの音声が流れます。

つまり、いままさに盗聴していたぞ、ということを示しているわけですね。
ただ、これこそが、ハリーの妄想であることを物語っていると思いました。

脅すのであれば、「盗聴しているからな」じゃなくて「ただじゃ済まないぞ」とか「殺すぞ」みたいな文言であるべきだと思います。

あえて「盗聴しているからな」という言葉になっているのは、彼が内面で盗聴に罪の意識を感じていて、盗聴という行為が自分に向けられることを恐怖しているからじゃないでしょうか。

マリア像を壊すということ。ラストシーンの意味

このあと、彼は部屋に盗聴器がないか徹底的に調べます。
家財をすべて捨てて、壁紙も剥がしてしまいます。

ただ、マリア像だけ、途中で片付けようとして一回やめるんですね。それは彼が熱心なキリスト教信者だからでしょう。
でも、他の場所を調べ尽くしてしまったハリーは、最後にマリア像も分解してしまいます。

マリア像を叩き割るシーンは、明らかに意図的な荒々しさで描かれています。
この瞬間、彼は盗聴の恐怖に屈し、心の支えであった信仰までも手放してしまったように見えました。

彼が正気だったら絶対やらないと思うんですよね。
自分の罪を、教会に告解にいくような真面目な男が、マリア像を壊すはずがない。

ラストシーン、盗聴器が見つかったから、彼は安心してサックスを吹いているのではなく、彼は完全に壊れてしまったからこそ、何もない部屋でサックスを狂ったように吹いている。耳にこびりついた妄想や盗聴の音声をかき消すように。
そんなふうに思えたのでした。

ハリーは、過去にとらわれたために、狂うことになった

マリア像のほかにも、本作には宗教的なモチーフが散りばめられているような印象を受けました。

ハリーは、仕事が一段落ついたあとも、盗聴テープを繰り返し聴き続けます。
依頼はすでに完了している以上、本来は、それ以上深入りすべきではないのですが、彼はテープの解析をやめようとしません。

これは旧約聖書の中で「後ろを振り返るな」と言われたが、その教えに背いてしまったロトの妻の逸話とも重なるところがあるように思います。
解釈は様々あると思いますが、この逸話は「過去への執着」を戒める側面もあると思っています。

ハリーは過去に、自分の盗聴の仕事が原因で人が死んだことを悔いており、その過去の出来事が心の傷となって、いま眼の前の仕事に対しても、必要以上に執着してしまっている。結果、精神を蝕まれていったのです。

ハリーには途中、「救済」の機会が何度もあった

実は、物語のなかで、ハリーの過去に執着する行動に対して、改めるきっかけになるようなメッセージが何度かでてきます。

たとえば、ハリーの同僚は、テープに執着する彼に向かってこう言います「ハリー休憩しよう。アルの店でビールでも飲もうよ」。

あるいは、劇中に登場する「赤い赤いコマドリが飛ぶ〜♪」という楽曲。
原曲の題名は「When the Red, Red Robin Comes Bob, Bob, Bobbin' Along」で、前向きに生きることへの賛歌のようなメッセージになっている曲です。(歌詞に登場する赤いコマドリは、キリスト教とも関係の深い鳥だったりもします)

この歌を、付き合っている女性が口ずさんでいたのは、前向きに人生を生きていくことの象徴が彼女だったからであるようにも思えます。ただ、ハリーは彼女を怪しんで、別れる選択をしてしまいます。

いずれも、ハリーの内に引きこもっていく精神状態からの解放を示唆するようなものでありますが、彼は結局最後まで過去に執着するスタンスを変えることができませんでした。

これはハリーが信奉するキリスト教の教えに背く行為であるとも考えられ、彼の小さな過ちの繰り返しの結果が、ラストのマリア像を破壊して、荒廃した自室で一人サックスを奏でるバッドエンドへとつながっていくのでしょう。

一方で、赤いコマドリといえば、別名「ロビン」とも言われる鳥で、マザーグースの1篇ともつながります。「Who killed Cock Robin?(誰がコマドリを殺した?)」という問いかけは、本作のストーリーとも不気味な一致を見せますね。

どこまでが意図された「見立て」なのかは明確ではありませんが、観る人の想像力を掻き立てるシーンが本編中には無数に出てきます。

コッポラが巨匠と呼ばれるのも頷ける、底のしれない、何度でも見たくなる味わい深い作品です。