『ナミビアの砂漠』感想・考察です。本作は結局何が言いたいのか、タイトルの意味は映画の内容とどうつながるのかなど、解説をしています。

良い意味で酷い映画だと思いました。
安全圏から野生の若者を眺めるための映画なんだろうなぁ。
映画の中で、カナが何となく眺めている「ナミビアの砂漠(ナミブ砂漠)の定点カメラ映像」がありますよね。
ナミブ砂漠は、劇中でカナが言っていた「生存が目的」と言えるような、過酷な自然環境です。
本作は、カナたちが生きる若者の世界は、ナミブ砂漠のようだと言いたげです。
- あらすじ
- ナミブ砂漠のような現実を、観客はただ眺める
- 観客は野生の若者を眺めて、何を想うのか
- 退屈しないのは、次の瞬間に何かが起こりそうな緊張感があったから
- 劇中に散りばめられたテーマは、「ガゼルがウンコした」くらいの意味しかない
あらすじ
21歳のカナにとって将来について考えるのはあまりにも退屈で、自分が人生に何を求めているのかさえわからない。何に対しても情熱を持てず、恋愛ですらただの暇つぶしに過ぎなかった。同棲している恋人ホンダは家賃を払ったり料理を作ったりして彼女を喜ばせようとするが、カナは自信家のクリエイター、ハヤシとの関係を深めていくうちに、ホンダの存在を重荷に感じるようになる。
映画.comより一部抜粋
ナミブ砂漠のような現実を、観客はただ眺める

映画作品としては、カナのような野生の若者を、我々がスクリーンを通じてのんびりと眺めて楽しんでいるという構図が成立しています。
劇中では、こうした俯瞰構造を意識させる描写がいくつか出てきます。

たとえば、ピクチャーインピクチャーのような形で、彼女の頭のなかの風景が映像として映し出されるシーンがありました。
空想の世界で、カナは、ランニングマシーンで走りながら、スマホに映し出された自分とハヤシの乱闘姿を他人事のように視聴しています。

心理カウンセラーの先生との対話の中で、箱庭のなかに樹の模型を置くシーンでも、その後、その箱庭の世界にカナが入り込み、樹の下で隣人の女性と対話するシーンが描かれていました。
これも「俯瞰」の構造を強く意識させる描写です。

極めつけはポスターのデザインです。
河合優実のアップの写真に、「指紋」が重ねられていますよね。
これはスマホ画面の向こう側にいる「主人公」を意識させるもので、ここにも俯瞰的な視点が織り込まれています。
観客は野生の若者を眺めて、何を想うのか

カナの、目の前で語られる同級生の自殺の話題よりも、隣の席で話しているノーパンしゃぶしゃぶの話が気になってしまう無神経さ。
女々しくて退屈な彼氏から刺激的な男性に乗り換える軽さ。
鼻ピアスで彼の両親に会いに行くのに、手土産のことは気に掛けるズレた感じ。
彼女のパーソナリティは自分からすると異質すぎて、人間味を感じづらかったのが正直な感想です。
砂漠で水を飲みにきていたガゼルと同じです。
すらっとしていて引き締まった体で美しいが、人間という感じはしない。
だから、彼女が裸になるシーンが出てきても、普段と違って、気まずい感情が刺激されることもありませんでした。
全編にわたって、自分とは異なる生き物の生態を観せられている感覚が、最後まで続いたという感覚です。
退屈しないのは、次の瞬間に何かが起こりそうな緊張感があったから

本作は退屈なのかというと全然そんなことはなくて。
映像は常に、次の瞬間に、何かが起こりそうな予感に満ち続けていました。
水を飲んでいるガゼルに、画面外からチーターが襲いかかるんじゃないかという、想像もしないような何かが引き起こされそうな雰囲気がありました。

そして、その予感を放出し続けたのは、間違いなく河合優実のオーラだと思います。
だらけた歩き方。半開きの口。
虚ろな目。気だるい喋り方。
ときに見せる、常識人のような気まずさのリアクション。
砂漠世界では見慣れた一挙手一投足が、遠くから眺めている者にとってはとても新鮮で、何も起きていないのに何となく興味を持続させられる感覚がずっとありました。
劇中に散りばめられたテーマは、「ガゼルがウンコした」くらいの意味しかない

老いも若きも脱毛にいそしむ女性像を風刺したり、モラハラ的な行動を女性の側(カナの側)が彼氏に対して行うという、現実とは逆転のような構造を見せてみたり。
カナのセリフを通じて、クリエイターに(ハヤシに)対して、ド直球の倫理観を投げつけてみたり。
テーマの片鱗のようなものが散りばめられていますが、本作におけるそれは、あくまでも社会のいち側面をそれぞれに写し取ったものでしかないと考えます。
ナミブ砂漠の映像にたとえるなら、動物同士の小競り合いや突然ウンコし始めたとか、生態が垣間見えるちょっとしたハプニングのようなものであって、映画の主題ではないと感じました。
もしそれらを本気で扱うなら、もっとテーマをしぼって解像度をあげて描いていくはずです。
なので、若者的な生き物を、野生生物のように異質なものとして捉えて、遠くから眺めてみたときにどんな気分になるだろうか、というのが、個人的には本作を通じて提示されたテーマの柱だったような気がしています。