映画『炎上」ネタバレ感想・考察・解説。曖昧なまま進んでいく本作の物語を、どのように消化すべきか、自分なりの受け止め方を提示しています。

『炎上』は、宗教二世として育った主人公・小林樹里恵の回顧録的な作品だ。
家庭環境に絶望した樹里恵は家を出て、新宿歌舞伎町にある通称“トー横”で「じゅじゅ」として生きていく。
そんな「じゅじゅ」が、現実をどのように受け止めていたのかがドキュメンタリータッチで描かれる。
本作の感想は、賛否が表裏一体なのでその両面を織り交ぜながら語っていく。
あらすじ
カルト宗教の信者の家に生まれた小林樹里恵は、妹とともに厳しく教育されて育つ。姉妹は毎日やってくるつらい日々が消えるよう、そして教育熱心な父がいなくなるよう、神様にお願いをしてきた。数年後、姉妹の願いがかない父は亡くなるが、母から教育を受け続ける現実は変わらず、耐えきれなくなった樹里恵は妹を残して家を飛び出す。SNSに届いたメッセージを頼りに、若者たちがたむろする歌舞伎町の広場にたどり着いた樹里恵は、そこで「じゅじゅ」という名前と寝る場所、食べ物、スマホ、仕事をもらう。初めて知る世界でさまざまな人たちとの出会いを経て、ようやく自分の意思を持つことができるようになった彼女は、母のもとに置いてきた妹を連れ出して一緒に暮らすという夢を抱くが……。
映画.comより一部抜粋
ドキュメンタリータッチなのに、「信頼できない語り手」的である

本作は、主人公の樹里恵の認識をベースに描かれるため、語りはときに説明不足で抽象的となる。
彼女が直視したくない現実については曖昧に描かれる。
だから、ゴキブリにはモザイクがかかっているし、冒頭に登場する両親は、血の通った人間だとは思えないような無機質な描写になっている。
彼女には吃音があるけれど、ときおり差しはさまれる心の声に吃音はない。
もっとも象徴的なのは、彼女によって引き起こされる歌舞伎町の放火事件が、VR映像のような非現実的なものとして表現されることだろう。

語り手である樹里恵は、世間知らずな子どもであり、催眠剤で仲間とともにトリップするような信用ならざる人物だ。
描かれるのが樹里恵の記憶である以上、我々が目にしている映像はすべて、彼女のバイアスがかかったものと考えねばならない。
観ている映像の真偽を、いちいち疑いながら観なければいけないのは面倒に感じるかもしれないが、トー横に集まる彼女たちに関わるとは、そういう面倒くささを受け入れることなのかもしれない。
この独特な表現レギュレーションは、本作をトー横で過ごした少女の体験記として描くことに貢献している。
ともすれば乾いた手触りの作品になりそうなテーマだが、きちんと体温を感じさせる映画になっているのは、森七菜の存在感はもちろんだが、一人の少女の体験を誠実に伝えるこの語り口によるところも影響は大きいだろう。
事実は小説よりも、曖昧でくだらない

「事実は小説よりも奇なり」という言葉は、本作には当てはまらない。
自分なりに製作趣旨を理解したつもりで言うが、『炎上』はいわゆる「面白い映画」ではない。
彼女が衝動的に家を飛び出した時点から、映画の結末は見えていた。
大人ならだいたい分かる。簡単なことだ。
ホス狂いや自殺の描写も、まぁそうなるだろうな、の範疇だった。
良くも悪くも、予想外のことはなにも起こらない。
私たちがニュースで知って、想像している通りのことが、そのまま起こる。

そして、ここが本作の賛否をわかつ最大のポイントなのだが、『炎上』はどちらかと言えばトー横や若者に対する描写の「解像度が低い」。ように見える。
本作は、彼女たちが「なぜ、そうなってしまうのか」をほとんど説明しない。
観ている側としては、自分には到底理解できない愚かな行為が、目の前で起こり続けている感覚になる。
この当たり前の事実の提示と不明瞭な動機を、ストーリーとして物足りないと感じた場合、本作はかなりつまらないことになるだろう。
ただ、これが現実だ。
なぜ、こんなことになってしまうのか?
そんなこと、彼女たちにも分かりゃしないのだ。
この映画は、理由はさておき、事実としていまそれが起きている、ということを伝えている。
なぜ、こんなことになってしまうのか?それは彼女たち自身にもよく分からない、という答えが提示されている。
彼女たちの、世の中に対する分からなさ(解像度の低さ)が描かれている。
本作を、第三者の視点で描けば「ザ・ノンフィクション」のような、作為的なドキュメンタリーになっただろう。
『炎上』が、樹里恵を語り手とした不明瞭な物語である意味はここにある。
創作によって、社会常識的な目線をできる限り排除したかったのだと思う。
不幸の連鎖と、燃え広がる炎
樹里恵は、誰のせいで自分がこんな目にあっているのか認識できない。
怒りなのか恨みなのか、それすらも語られることはないが、感情の行き場をなくした彼女は「放火」に行きつく。
トー横という場所ごと消えてしまえばいいと思ったのかもしれない。

樹里恵にとって、あの瞬間に確かだったのは、命を削って貯めた1000万円が失われ、その犯人が三ツ葉だと思い込んでいたことだ。
三ツ葉をバイブで殴り殺すシーンは、ムチを振るうかつての父親の姿と重なるが、心情的な重なりはない。
ここで示されているのは、悲惨な不幸の連鎖だ。
ホストが三ツ葉を捨てるときにも、自らの不幸な境遇を言い訳にしていたが、これも同じ不幸の連鎖を描いている。
個別には語られないが、登場人物のすべてが不幸な境遇を抱えており、彼らはその日をしのぐために、他の誰かを不幸にし続けているのだ。
タイトルの『炎上』は、物理的な火災だけを示してはいない。
炎が音を立てずに燃え広がるように、社会に不幸が連鎖していく姿を映しているのだと思った。
幸福を「想像」できない、少女たち
最後、火災から一命をとりとめた樹里恵が「ここは天国?」と傍らの女性に問いかけると、彼女は「地獄」と答える。
渡されたスマホには、妹から無事を心配するメッセージが大量に届いていた。
樹里恵は、妹に無事を知らせるために炎のスタンプを返す。
この僅かに希望を灯すような幕引きは、製作者の願望だろう。
個人的には、樹里恵はあのまま火災のなかで死んでいたほうが良かったのかも…、なんてKAMIくんのようなことを思ってしまったのが正直なところだ。
実際、昏睡から目覚める直前の樹里恵は、天国のような世界を妄想している。
その場面で描かれていたのは、雲の上に、清潔でふかふかなベッドが置かれている空疎な風景だ。
彼女は、天国(幸福)をまともにイメージすることすらできない。
そういう子どもたちが、トー横には多くいるのだろう。