『FUJIKO』ネタバレ感想です。

『FUJIKO』は、タイトルの通り、富士子という女性の半生を描く物語だ。
富士子は、最悪な嫁ぎ先からドロップアウトし、シングルマザーになった。
彼女は美大に進学したかったが、時代や家庭事情で、嫁ぐことになった背景を持つ。
そんな富士子の、生物としての強さと執念に惚れ惚れした。
彼女は、職を転々とするが、接客も料理も営業も、たちどころに勘所をおさえて自分なりの工夫でうまくやってしまう。
一方で、困ったときには躊躇なく頭を下げ、助けを乞うしたたかさも備えている。
しかし、彼女はなかなか腰を落ち着けた生活ができない。
仕事を変えるたびに、生まれ変わったかのように新しい人生を歩み始める。
喫茶店のウェイターから、ヤクザの賭場の調理担当となり、最後は保険の営業になっていく。
その時々で、借金に苦しむこともあれば、あぶく銭で豊かな暮らしをするときもある。
強盗に有り金をとられて、父親の知り合いに助けられて生き抜いた時期もあった。
自分や娘の得のためなら、躊躇なく他人に助けを乞えるし、土下座もできる彼女だが、親や兄、親戚には意地でも服従したくないという、意地のはりかたが彼女を人間臭く、魅力的にみせていた。
親戚たちに自分を否定されたときの、富士子の変顔一歩手前の崩壊しかけた表情は見物だった。
人間は、悔しさが限界突破するとどうなるのかを、全身全霊で表現していた。
主演の片山友希はすごい俳優だ。

そんな富士子にも、身を固めるときがやってくる。
保険会社の同僚(橋本淳)と、縁談が進みそうになるのだ。
彼は、富士子の母と兄に挨拶にきて、「彼女に不自由させない暮らしをさせてやりたい」と力強く宣言する。
そこで富士子は、はて?と、自分のなかの違和感に気づいてしまう。
その夜、実家に泊まった彼女は、父の部屋に残された、40歳の富士子に向けたメッセージ(録音された音源)を聴く。
体が不自由になっても、最期まで音楽を手放さなかった父親からの、魂のメッセージがそこにあった。
映画冒頭に流れた、精子と卵子が出会って富士子が誕生するアニメーションと同じ演出が、ここで再演される。
この瞬間、彼女は生まれ変わったのだ。
そのあと、お世話になった蕎麦屋の主人を訪ねて、海老のかき揚げをのせた蕎麦をご馳走してもらうシーンも気が利いている(海老は何度も脱皮を繰り返し、生まれ変わるのだという)

物語の終着点は描かれないがそれでいい。
本作は、自分らしく生きることをあきらめない富士子の生きざまが鮮烈に描かれていた。
わたしは、わたしをあきらめない。
そのために富士子は、何度でも生まれ変わる。
自分だってまだこれから…、と思わせてくれる、元気をもらえる痛快な物語だった。

(余談)
本作の企画・プロデュースは、MEGUMIだ。
良い監督をちゃんと見つけてきて、おそらく自分の知名度やコネも使いながら良い俳優やスタッフを集めたプロデューサーとしての手腕はお見事だった。
中途半端に脚本を書いたり監督になったりしないのが、分かっているしセンスがいい。
本作の劇伴はKing Gnuに依頼している。
特に、富士子が覚醒する瞬間をアニメーションで描くシーンは、音楽の説得力が欠かせなかったが、その役割を十二分に果たしていた。
あの音が、富士子の父親をかっこいい親父に見せていた。
FUJIKOは監督である木村太一氏の母親をモデルにしているそうだが、目的に向かってなりふり構わない勢いや勘の良さは、芸能界を長年生き抜いてきたMEGUMIにも通じるところがあると思う。
そんな2人が意気投合して映画を撮ろうと思ったのは頷けるし、そりゃ熱量の高い作品にもなるよなぁと納得した。