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映画『近畿地方のある場所について』感想:“呪いのエコシステム”が描かれた、令和の傑作ホラー

映画『近畿地方のある場所について』ネタバレ感想・考察です。怪異の正体について解説します。

タイトルの通り、「傑作ホラー」であって「傑作映画」ではないというニュアンスです。
ただ、個人的にはホラーとしてかなり楽しめたので、全体としては好意的な感想になっています。

 

他の作品を引き合いに出すのもなんですが、今年観た「ドールハウス」は、映画として優れた作品でした。ただ、本作と比べると、そのぶんホラーらしい手触りはスポイルされていたところもあったように感じます。

 

本作は、映画として観ると特に後半の展開には粗削りを感じますが、映像を通じて掻き立てられる居心地悪さや恐怖感は極上で、ホラー純度が極めて高い作品でした。

 

レビューサイトを観ると、かなり賛否がわかれており、否定的な意見も多く観られますが、これは宣伝の功罪だと思います。

 

できるだけ多くの人に観てもらうために、菅野美穂と赤楚衛二という人気の俳優を起用し、さらにミステリ色を強めた宣伝素材を流した。
でも、いざ公開されてみたらゴリゴリに純度の高いホラー作品をやってくれているので、そりゃまぁこうなるよな、と。

 

明確に低評価する人がかなりの割合いる(映画.COMに至っては平均2点台)のは、本来ターゲット外の層まで作品が届いたということなのでしょう。

 

つまり何が言いたいかというと、ホラージャンルの中ではかなり良い出来の映画です、ということです。

見事な導入と怪異ビデオテープの数々

映画の冒頭で、超・不思議マガジンの編集長・佐山が失踪します。

 

彼の仕事を引き継いだ、小沢(赤楚衛二)と瀬野(菅野美穂)は、彼が残した「資料」を通じて、一連の怪異に巻き込まれていくという構造になっています。

 

資料のなかには、ビデオテープが多数あり過去のオカルト映像や佐山自身が取材した動画が収められていて、その動画をどんどん再生して観ていくことになります。映像は1本あたり数分程度の長さ。

 

映像のバリエーションは豊富です。
不審な事件を報道するニュース番組や昭和テイストなオカルト特集番組。ニコ生主のオカルトスポット生配信映像や、あるいは不穏な映像のモンタージュだったり。

 

この映像群の出来が飛び抜けていい。

 

ビデオテープ的な自然なノイズの入り方と何か霊的なものを感じさせる映像の乱れ方。
生理的に嫌悪を感じさせるような、効果音の使い方。

こういうのに出会いたくてホラーを観ているところはあります。

 

これら映像のディティールの作り込みがすごくて、たとえば地方局のオカルト特番的な映像には、関西ローカルでは誰もが見慣れた「関西電気保安協会」のCMが差し込まれるなど、映像の本物感や胡散臭さを演出する仕掛けがふんだんに盛り込まれています。

 

ジャパニーズホラーの上質なアラカルト、というと言い過ぎかもしれないけど、白石監督の集大成感はありました。

 

1本1本の映像がS級の完成度で、映像を観ていくほどに、怪異の存在感が濃密に感じられます。断片的なそれらの映像が、やがてひとつの方向に収束されていくシナリオも素晴らしい。

 

次の動画は?次の手掛かりは?…と、怪異に惹き付けられていく体験そのものが、物語の中で小沢や瀬野が調査にのめり込む姿とシンクロしていくので、序盤から中盤にかけては宣伝に偽りなしの展開だったと思います。

終盤、収束しきらない物語にモヤモヤ

序盤から中盤までは神がかり的な面白さでした。
ホラーが好きな人には至福の時間と言ってもいいくらい。


原作の持つ魅力が、白石監督の手腕により見事に映像化されていました。

 

しかし、終盤にかけて映画と原作との乖離が大きくなっていきます。
おそらく映画としての起承転結を作る必要があったり、時間的な制約などもあったのだと思います。

 

序盤から中盤の丁寧に輪郭を描き出す展開に対して、いよいよ怪異の正体に肉薄していく終盤は、やや性急で説明不足でした。

 

実は、原作小説では、最後まで断片的な語りが続いて、手掛かりが積み上がっていきますし、ネタばらしの説明もかなり丁寧に行われます。

 

対して映画では、提示される情報の絶対量が少ない状態でラストに行ってしまうので、原作が本来持っているコズミックホラー的(超常的な存在が描かれるホラー)な世界観まで表現が届ききりません。

 

あとはテキストと映像という媒体の差異もあるでしょう。

最後に登場する怪異の正体が、テキストで想像させられるぶんには違和感を感じなくても、映像化されるとチープに見えてしまうのは、映画化の難しいところです。

 

原作を読むと、映画版の表現が何か逸脱していたわけでなく、わりと原作で表現されていたものを素直にビジュアライズした結果であることがわかります。

ミステリ的な答え合わせが難しい――描かれる怪異の正体が捉えづらい理由

ミステリっぽい物語を期待した人にとって、本作の物語は非常に捉えづらく、肩透かしなシナリオと感じられてしまったことも、評価を難しくした要因でしょう。

噂話や伝承が、時間の経過で変質してしまうことまで包含されている

ミステリ的な読み解きが難しい要因の一つとしては、語り継がれる怪異の形が、時代に応じて変わっていく(内容がブレていく)という「怪談話」のありようを踏襲していることがありそうです。

 

たとえば、「まさるさま」が、あるときから「ましらさま」と呼ばれるようになり、その性質すらも歪められて伝わっていくような、伝承や怪談が人づてに伝わる中で、変質していく様が描かれています。

 

本作は、ミステリ的な楽しみ方も確かにできる映画だと思いますが、「これはこう解釈することもできる」「これは実はこういう意味なんじゃないか」と、想像力を膨らませて読み解くことが求められます。

 

だから、映画を観ながら流れで考えているときは、ロジックがバチッとはまりにくいんですよね。ミステリ的な読み解きをしようとすると、時間をかけて考察する必要に迫られる。

 

そんな感じなので、映画の体感としては、モヤモヤが晴れないシナリオに感じられてしまいます(そこも含めて、ホラーとしては面白いのですが)

鳥居の御札の謎。なぜ2種類あるのか

そして、分かりにくさの代表格が鳥居の描かれた御札でしょう。

 

札の四隅に「女」と書かれたものと「了」と書かれたものがありましたよね。

 

この2つはまったくの別物だということを認識しないと、この映画の結末について、わけがわからなくなると思います。

 

「女」のほうは、いわゆる「ましろさま」など、“山から呼ばれる”というエピソードの流れを汲むもので、「了」は、赤い服の女と首の折れ曲がった少年の話につながるものです。

 

山への誘いは、嫁になる存在、子を産める若い女を引き寄せるような性質があり、赤い服の女は母的な存在を求めている。それぞれ性質が異なるのです。

 

「了」のほうが呪いの無差別性が高くて、個人的には怖く感じました。飼っている動物が次々と死んでしまう描写は、不快で恐ろしかったですね。

様々な怪異の根元として描かれる“黒い岩”の存在

本作においては、上記の2つに限らず、あらゆる怪異が元を辿れば謎の黒い岩につながっていくという全体像が浮かび上がってきます。

黒い岩を中心とした、巨大な呪いのエコシステムが形成されている

一般的なホラーの感覚で言えば、「ましらさま」や「赤い服の女」がそれ単独でホラー作品にもなりそうな存在ですが、本作ではそうした怪異が生み出される“元凶”としての「黒い岩」が描かれます。

 

つまり、描かれた怪異の数々は、黒い岩を中心とした“呪いのエコシステム”の「とある一側面」にすぎない、というのが本作の結論です。


冒頭で、主人公たちや観客が想像したような、ありきたりのホラー展開よりも、もっとスケールの大きな「呪い的な事象」が示された作品だったのです。

 

ただ、この設定を観客に読み取らせるには、本作の演出はかなり説明不足だったと思います。

流れで1回観ただけだと、最後の展開は典型的なジャパニーズホラーの悪習に満ちており、力技で無理やり物語を畳んだ展開に見えてしまいます。

入場者特典による「追加テキスト配布」という、場外戦

左の御札の裏にQRコードが記載されている
この分からなさを補完するために、本作では入場者特典として、原作者による描き下ろしのテキストがQRコード形式で配布されます。

その入場者特典の文章やパンフレットなどの中では、この黒い岩の存在は、隕石という形で宇宙からやってきた、人類の上位存在だという一説が提示されます。(SF的な世界観の作品で、宇宙人が人間に寄生して、社会に溶け込んでいるという描かれ方をすることがしばしばありますが、それの亜種に位置づけられる世界設定ですね)

 

たとえばですけど、まさるさまのエピソードに出てきた黒ずんだ柿は、黒い岩の存在の一部を女性(宿主)の体内に取り込ませることでその人間を支配できる、というものでした。

柿を食べた女性とまさるが子を成すことで、黒い岩を模した上位存在は、人間に寄生しながら自分たちの種の繁殖ができると考えていたのではないか…。
特典テキストからヒントを得ることで、そんな解釈もしやすくなります。

 

ただ、足りない情報を、入場者特典という形で追加テキストを配布して、映画の外部で補完する構造になっているのは、原作の特性にあっているからインタラクティブ感はあるし、エンタメの試みとしては応援しますが、1本の映画としては評価しづらさが残ります。

 


 

個人的には、ホラーというジャンルがもともと好きなので、ホラー要素だけで充分楽しめたし、そこに原作を読んでさらに考えを深めていく追加的な面白みもあったので、総合的な満足はとても高い作品となりました。

一方で、上述したように、この作品が「映画」として厳しい評価を受けることも理解できます。

 

ホラー作品のラストは、怪異の正体を真正面から見せるか、最後まで隠し続けることで怖さを残すかの二択になりがちだと感じます。

 

人間って、正体の分からなさに恐怖や神秘や好奇心を感じるし、日本のホラーは、その侘び寂びを楽しむものが多いですよね。

 

そうした都合上、ラストの種明かしをどう乗り越えると映画として素晴らしくなるのかは、ホラーというジャンル自体が抱える永遠のテーマなのだろうなと、そんなことも思いました。