映画『金髪』ネタバレ感想・考察・レビュー。本作が金髪を通じて描いているテーマについて解説しています。

冒頭で提示される「これは金髪の話ではない。私の個人的な話だ」
という主人公・市川のセリフが、そのまま作品性を現していました。
金髪の学生という「問題」が現れたときに、大人たちはどのようにそれと向き合い対処するのかが、教師である市川個人の視点から描かれていく物語です。
ただし、金髪はあくまでも目眩まし。
その実態は、大人にとって手厳しい指摘がビシバシ飛んでくる会話劇となっており、露骨な風刺の数々に、思わず苦笑させられてしまいます。
あらすじ
中学校教諭の市川が勤務する公立中学校で、担任クラスの生徒数十人が髪を金色に染めて登校してきた。生徒たちは校則への抗議だと主張し、学校中は大騒ぎになる。子どもじみた反抗と高をくくっていた市川だったが、活動の発起人である板緑に「なぜ髪を染めてはいけないのか」と問われ、「校則だから」としか答えることができないでいた。この騒動はネットニュースに取り上げられ、教育委員会や文科省、さらには総理大臣まで動き出す騒動へと発展。そのことを毎日愚痴っていた恋人の赤坂からは「あなたは子どもじみている」と説教をされて疎遠となり、市川は公私ともに窮地に立たされる。
映画.comより一部抜粋
「自称オトナ」たちの、自己中さや無責任さをえぐるような展開

市川は、生徒の金髪について、余計な問題が起こってめんどくさい、仕事が増えるくらいにしか思っていません。
先生だから熱血で生徒のことを一番に考える、なんてことはないのです。
そんなことよりも、30歳をすぎておじさん化していく自分はこの先どうなってしまうのか、という他人から見たらクソどうでもいいような小事に彼はとらわれ続けています。
本作は、市川を筆頭に、目の前の問題ときちんと向き合おうとせず、目を逸らし続ける大人の情けなさや滑稽さがひたすら描かれています。
金髪問題の責任を市川に押し付ける大人たちも大概ひどいし、金髪問題を逆に、自己保身の道具として利用しようとする市川も愚かしい。
最後には、彼が必至にしがみつこうとしている「教師という公務員の世界」すらも、ただの半径nメートルの近視眼的なものでしかないと突きつけられて終わります。
金髪騒動に関わる人々は、同じ問題を見ているようで、見ていない

劇中では、誰もお互いにわかり合おうとしておらず、金髪に染めている生徒たちも、一致団結しているのではなく、それぞれが勝手な想いで金髪に染めているだけです。
しかし、それを集団として現象として捉えると、そこには何か抗議的な意味がありげに見えてくる…
市川にとって金髪騒動は、対処がめんどうで残業が増える雑事でしかないし、教育委員会の担当者からすると、とにかく事なかれで事態を治められれば何でもいいと思っているし…。
同じ問題に相対していても、各自の問題認識はてんでバラバラなのです。

結婚は年齢でするものじゃないという、市川と恋人・赤坂との会話にもそれは象徴されています。
赤坂の側は、「年齢じゃなくお互いの気持ちが大事」だと思っているのですが、市川は、「そもそも自分はまだ焦るような年齢じゃない」と思い込んでいるというズレっぷりです。
この「同じものについて会話しているのに、心の中はズレている現象」を、劇中では、色んなシチュエーションで、手を変え品を変え繰り出してきます。
最後の方で赤坂が話す「“ちくわ”の話をしていると思っていたら、実は相手は“ちくわぶ”の話をしていたことに気づいた」という結論が、本作で巻き起こされる「ズレ」の正体をズバリ言い当てているようにも思えました。
もう一度言うが、これは金髪の話ではない

市川と板緑との結託すらも、お互いの利害の一致によるもので完全な一致団結ではありません。
それでも、2人は一連の騒動を通じて少し打ち解けたかのように見えるのですが、そう思えたのもつかの間、最後には「キモっ」と、板緑に拒絶の言葉を吐かせて、関係を淡く断絶させてみせるところに、コンセプトをブレさせない監督の強い意思を感じます。
最後にタネ明かしをするように、「もう一度言うがこれは金髪の話ではない。私の白髪の話だ」という一言が添えられて、映画は幕を閉じます。
生徒の金髪は大問題かのように語られるが、おじさんの白髪なんてありふれており問題にすらならない。でも、それは当事者にとっては、バカバカしくも切実な問題で、だからこそコメディとして、とても面白い作品になっています。
こんなシニカルな作品を作る人が、『君の顔では泣けない』のような作品も作ってしまうのだから映画は面白い。
きっと、人間とはどういう生き物かを観察することに長けている方なのだろうと思いました。
次回作が早くも楽しみです。