『この世界の片隅に』ネタバレ感想・考察です。すずが涙を見せない理由やアニメならではの表現について解説します。

『この世界の片隅に』は、主人公の“すず”の日常を描くことで、戦争が人々から何を奪うのかが鮮明に浮かび上がってくる作品です。
本作、観たのはこれで2回目になりますが、改めて、すごい映画だと感じました。
そして自分にとっては、幼いときに観てショックを受けた『火垂るの墓』の呪いを解いてくれた作品でもあります。
- 涙を見せない“すず”の、秘めた想い
- それでも人は笑う。失い続けても、強く生きる人々のたくましさ
- アニメならではのリアリティ表現
- “すず”の魅力、“のん”の演技力
- 『火垂るの墓』の呪いを解いてくれた作品
涙を見せない“すず”の、秘めた想い

この映画、展開的には観客の涙を誘うシーンがいくつかあると思うのですが、どのシーンもギリギリのところで泣ききれない感覚があります。
踏みとどまらされる感覚と言いましょうか。
それは何だろう考えたら、主人公の“すず”が、観客に涙を見せないからではないかと。
ギャグ的なシーンで“えーん”と泣いてみせる演出はありますが、観客に向かって涙を流すシーンはほとんど描かれません。
お兄さんが亡くなっても、とある悲劇が起こってある人が亡くなっても。自分自身の大切なものを失っても。
すずは人前(観客の前)では涙を流さない。
泣きそうな場面でも顔を伏せて涙を隠す動きをします。
そんな“すず”が、最後に1回だけ明確に号泣する場面があります。
日本が敗戦を認めたときです。
お国の勝利のためだから耐えましょうという、拠り所があったからこそ、これまであらゆることに耐えてきたのに、耐える理由が失われてしまった。
そしてすずは、同時に自分たちが食べていた食料が、植民地から奪い取ったものだったことにも思い至ってしまいます。
奪われたと思っていた自分は、奪っていた側でもあった。
そのやり場のない想いが、これまで押し殺していた感情の最後のひと押しとなって、涙を溢れさせるのです。
映画を観ながら、“すず”が意図的に涙を見せないようにしていると感じましたが、これは戦時中の感覚として一般的なものだったと理解しています。
たとえば、黒柳徹子さんのインタビューでも、そのようなことをお話されています。
「私ね、日曜学校に行くのにすごく寒くておなかも空いていたから、ちょっと泣きながら歩いていたんです。そうしたら、おまわりさんが来て『おい!こら!何で泣いてんだ』っていったから『寒いからです』っていったらね、『おまえ兵隊さんのこと考えたら寒いからって、泣いたりなんかできないだろ』ってすごく叱られたんですよ。そのときに『あ、戦争って泣いてもいけないんだ』って。それからどんなことがあっても泣かないようにしようって思って。
すずが号泣したとき、物陰では義理のお姉さんも娘の名前を呼びながら泣き崩れていました。
戦争が終わったことで、個人的な悲しみの感情を、ようやく表に出すことができたのだと思います。
人が死ぬことはもちろんですが、人間の心までも押し殺してしまうのが、戦争の恐ろしさなのだと改めて思い知らされるようでした。
それでも人は笑う。失い続けても、強く生きる人々のたくましさ

本作が戦争映画として異色なのは、戦時下の庶民の生活にフォーカスしたことに尽きるでしょう。
戦時下の生活は、不幸と隣り合わせの生活です。
暮らし向きもどんどん厳しくなっていく。
そんな中でも、生活の知恵を発揮しながら、たくましく生きるすずたちの姿から目が離せません。それは興味深さゆえでもあるし、見守るような目線でもあります。
たとえば、ご飯を食べるシーンがあったら、それは出来るだけ美味しくあって欲しいと祈りながら観るような感覚がありました。

そして、戦時中といっても、四六時中が厳戒態勢なわけではありません。
平和な時間のほうが遥かに長い。
厳しい日常のなかにも緊張と緩和があります。
お父さんが大怪我をしたかと思いきや、夜勤明けで疲れて寝落ちしただけとか。
憲兵にすずがスパイだと疑われたあとに、「すずがスパイなんてできるわけない」と、家族みんなで大笑いしたり。
常に悲壮で、すぐ隣に死があって、というこれまで散々描かれてきた戦争世界とは一線を画した、ときには笑いもこぼれる庶民の生身の生活ぶりは新鮮でした。
なにげない日常の一幕が、とても尊く、眩しく感じました。
アニメならではのリアリティ表現
お義父さんのお見舞いから帰る途中の“あの”シーン。
あれは鳥肌が立ちました。スラムダンクの映画のときもそうでしたが、これまでに体験していない表現を見せられたときの、ゾワッとする感触は言葉になりません。
一種の臨死体験のような感覚というか、絶望の時間というか。
時が止まったような数秒の間。
言語化できない感覚が、映像と音で見事に表現されていました。
絵的には“怖くないのに、すごく怖い”のが、すごいのです。
右手を失った絶望の表現として、背景のデッサンがぐにゃりと崩れていくようなシーンもありました。
世界観を壊しかねない過剰な演出でもあるんですけど、主人公の絶望が振り切れたレベルのものであることを雄弁に物語ってくれるアニメ表現だったと感じます。
そして、原爆の光の表現です。
実物を観たことはなくても、光の明滅が本能に訴えかけてきます。
発光から遅れて、衝撃波がおそってくる描写も生々しい。
“すず”の魅力、“のん”の演技力

最後にこれを書いておきたい。
“のん”すごくない?
声がハマりすぎにもほどがあるというか。
元々、特徴のある声だなぁとは思っていたけど、日本昔話っぽい波長の声がキャラクターに合っていました。
“すず”のあっけらかんとした声の表情もいいし、タメがなくすっと言葉が出てくる感じの喋り方も上手く聴こえました。
日常シーンの会話がフラットで、少し感情が見えづらく感じる場面もあるのですが、それはむしろ狙い通りにも思えます。
キャラクターに魂が吹き込まれるって、こういうことなのだなと、久々に思った体験かもしれません。
『火垂るの墓』の呪いを解いてくれた作品

自分の原体験として「戦争の映画=火垂るの墓」があります。
子どものころに作品を観て、空襲の例のあのシーンがショックすぎ、それ以来、日本の戦時中を描いた作品を観るのが苦しくなってしまいました。
しかし、本作『この世界の片隅に』で描かれる戦時下の日常風景は、たしかに苦しく辛く、もちろん大切な人の命が奪われることもありますが、そこに確かに「人間らしい営み」があることをはっきりと示してくれました。
“すず”が生きる姿を通じて、戦争を乗り越えて前に進むことを肯定してくれたような、そんな頼もしさを感じたのでした。
ラストシーンで、爆撃から生き延びた少女が“すず”の右手を掴み、運命的なものを感じたすずが、少女をうちに引き取る決断をします。
そこには物語的な意味もありながら、悲惨なだけではない未来への一筋の希望を感じさせてくれる結末でもありました。