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『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』感想:いい映画のはずだが、絶妙に没入しきれない、その理由を考える

『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』のネタバレ感想・考察です。良い映画なのにどこか違和感も感じさせる。その要因について解説します。

感性が共鳴しあえる他者との、運命的な出会いを描いた怪作。

お笑いコンビ「ジャルジャル」の福徳秀介さんの小説が原作です。

 

アニメ世界のような、かなり特殊なシチュエーションにおける男女の出会いが描かれています。

 

演出や役者の演技などは素晴らしく、映画の完成度は高いのですが、物語が内向きで、閉ざされた世界の描き方をしているので、共感できるかどうかという点ではかなり人を選ぶ作品となっています。

 

そして、なぜそんな印象を与える物語になっているのかと言うと、それは本作がお笑いコントの手つきで描かれた物語だからだ、と感じました。

 

生きづらさを抱える2人は、運命的な偶然の出会いを遂げる

小西(萩原利久)と桜田花(河合優実)は、HSP的な特性を持っているように見えます。

 

劇中では直接的な言及はされませんが、光や音の刺激を苦手としていたり、他者と社会的な関係を築くことに困難を抱えている様子から、何らかの特性を持っていることが察せられます。
そして、関西大学に通っていることから、学業的には優秀であることも暗示されています。

 

そんな2人が偶然に出会うことで物語は動き始める。

 

2人の会話は、かなり奇妙なテンポで進められますが、2人の間では通じあっています。比較的、一般人に近い存在として描かれる“さっちゃん”との対比で、小西や花の浮き世離れした印象がいっそう際立っていました。

 

2人は生きづらさを抱えていて、それ故にお互いに惹かれ合うのですが、その関係は「2人だけの世界」に閉じたものであり、観客が入り込む余地がありません。

 

物語としては興味深いのだけど、終始、そこはかとない居心地悪さも伴うのはそのためでしょう。2人の会話劇の描写は、外から眺めるしか術がなく、感情の入りこむ余地がないように感じられるのです。

“恋は盲目”を視覚的に描く

本作では、2人が惹かれ合っていく様をスクリーンの横幅を狭めるという、トリッキーな手法でも表現しています。

 

人は何かに夢中になると視野が狭まります。

「2人だけの世界」という表現もあります。

小西と花が出会って、急激に親密になっていく濃密な1日を、スクリーンの横幅を狭めるという視覚的な演出で表現しているのがユニークでした。

 

また、映画的な感覚だと、1日の時間軸で収まらないくらい、水族館にいったりボウリングにいったり、喫茶店でご飯を食べたり。
複数のイベントが立て続けに展開されます。

 

映画のなかの時間と実際の上映時間の感覚を狂わせて見せているのが、意図的ですが面白い演出でした。

これまで経験したことがない体験を2人がしていることで、時間の感覚が長くなっていることの表現でもあるし、時間の濃密さの表現でもあるのだと思います。

 

そしてこれらの演出もまた、「2人だけの世界」を強調する効果を生んでいました。

キャラクターの存在感を立たせる、デフォルメされた身体表現

本作は、登場人物がセリフで感情を明確にしないぶん、目線や体の動きなど、身体表現のほうで、かなり分かりやすく芝居が作り込まれています。

 

たとえば以下のようなポイントです

 

大学構内では晴れでも傘をさす小西が、学校から外に出ると傘を畳む。一方、友人の山根や花といっしょにいるときは、大学内でも傘をささない

周囲の視線が気になるという花の話を聞いた、小西の突然の叫び

周囲をきょろきょろしながら蕎麦をすすったり、通路を並んで歩くときに、ゆるやかにジグザグ歩きをする花

さっちゃんが、バイト先の銭湯で小西と会話するときに足先をちょこちょこ動かしたり、喜びを飛び跳ねながら全身の大きな動きで表現したり

 

登場人物たちが、アニメのキャラクターのようなデフォルメされた演技をします(完全に意図されたものだと思うので、批判的な意味合いはありません)

河合優実が蕎麦を食べながらきょろきょろする様は、他の映画での河合優実にはありえないような大ぶりの演技となっていて、明らかに狙ってやっていることが分かります。

 

銭湯でのさっちゃんの喜びや悲しみの感情表現も、ジブリアニメの少女のようでした。

山根のクセの強い口調や特徴的な語尾も、象徴的な表現です。

 

本作で描かれる人物像は、意図して記号的に描かれていると感じました。

リアルとフィクションが溶け合っている

本作は、社会に馴染めない小西と花が、2人の世界に閉じこもって恋愛的な交流をするという、思春期の自意識を拡張したような世界観が描かれています。

 

極めつけは、スピッツの「初恋クレイジー」を大音量で流すシーンです。

実際には爆音で流れているけど、その音は観客向けにはミュートされていて、小西の独白がはっきりと聞こえる。現実感が消失した演出です。

 

ここにも、音の洪水のなかに小西と花を閉じ込めて、2人だけの世界を作り出すような意図を感じます。

本作は、ストーリーを含めて全体的に現実感がないのですが、舞台設定の大学は実在の大学を使っていたり、銭湯や喫茶店の描写も学生街によくあるイメージで、そこだけは妙にリアリティがあったりもします。

 

原作が、著者の実体験をもとに書かれた私小説風の作品であることが、映画にそのまま投影されたような作風で、リアルとフィクションが溶け合ったような不安定さがあり、独特の雰囲気を醸し出しています。

コントを書く手つきで、描かれた物語

本作の居心地の悪さ、違和感はどこから来るのかと言えば、これが答えなのだろうと思います。この映画はコントを作るように描かれている。

 

描かれる悲劇の構造があまりにもよく出来すぎていました。

原作者であるジャルジャル(の福徳秀介さん)が得意とする、作り込まれたコントの世界のようです。

 

コントは、現実のある部分を強調して戯画的に見せるものだから、そもそもリアリティはないじゃないですか。

この作品の奇妙な現実感のなさは、そう考えると非常にしっくりきます。

 

一方で、良いコントには哀愁があったりもします。
そこから笑いの要素を引き算したら、まさに本作のような仕上がりになるのかもしれません。

物語のプロットも、キレイにオチがつくように計算されています。

 

バイト仲間の“さっちゃん”は、小西をずっと好きだった

しかし、小西はさっちゃんに異性としての興味がまったくなかった

あるとき、小西が偶然出会って恋をした相手は“さっちゃんの姉”だった

しかし、小西は2人が姉妹だとは気づかない。なぜなら、さっちゃんに興味がなさすぎて、本名や住んでいる場所などをまったく知らなかったから

 

状況としては、悲劇的なすれ違いが起こっているのですが、ここまでキレイにすれ違うと、むしろ喜劇的ですらあります。

 

小西が待ち合わせに来なかった花を信じれなかったのと、銭湯の親父がバイトに来なくなったさっちゃんを信じられなかったことが連動しているのも、出来すぎなくらい上手い掛かり方をしています。

 

作中にセレンディピティというキーワードが出てくるように、偶然を意図的に面白く起こしてみせるのが、お笑い的なストーリーの描き方なのかもしれませんね。

この映画が好き、とは言い切れないけど…

表現として面白くて、すごくいい作品だと思います。

でも、言葉にしきれない居心地悪さも感じる。

というのが私の感想です。

 

スクリーンの横幅の変化やアニメ的な演技表現、異様な長セリフなどなど。

挑戦的でユニークな表現が本作の魅力です。

 

一方で、生きづらさを描いた作品としては、かなり異色。

2人の社会とのつながりが希薄で、いわゆる中二病のようなナルシシズムを感じさせるところも多々あります。

 

クセが強いので感想の振り幅は大きくなりそうです。

合う人には名作にもなり得るし、合わない人にはすべてのセリフが上滑りしていると感じられるかもしれません。

 

少なくとも、本作は感情移入しながら観るのが難しい映画だとは思います。

 

男性からすると、小西は変わり者すぎて自分を投影できないし、女性から見ても桜田花の行動には理解できないところが多いのではないでしょうか。

ただ、小西の考え方や外に向けた態度には共感しかねますが、彼が花に惹かれる気持ちだけは理解できました。

 

本作は、河合優実の醸し出す、不思議な魅力に支えられている気がします。

現実にはきっと存在しないけど、変な女の子の創作キャラクターとしては、ベスト級の魅力を放っていると感じました。

初恋クレイジー

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