『禍禍女』ネタバレ感想・考察・評価。なぜ禍々女ではなく禍禍女なのか。ゆりやん初監督作となる本作は面白かったのか、つまらなかったのか。率直に語ります。

ゆりやんレトリィバァの初監督作品。
劇場で流れる予告が面白そうだったので、楽しみにしていました。
結論から言うと、ゆりやんの監督作品としては120点満点の出来で満足できました。
ただ、良くも悪くも「奇作」です。
ゆりやんに世間が期待する「破天荒さ」には見事に応えていたけど、芸人という肩書を越えた純粋な映画としての評価(北野武的な)に至るかといえば、遠い作品だったと思います。
一方、自身の知名度をフル活用して、著名な俳優を器用できた恩恵は大きく、特に主演の南沙良の怪演ぶりはすさまじいものでした。
ということで、以下、感想です。
- あらすじ
- 主人公不在の物語
- 映画タイトル「禍禍女」は、なぜ「禍々女」ではないのか?
- 物語の方向性は、終盤まで明かされない
- ゆりあんの映画というより、南沙良の映画という印象になっている
- ゆりやん“らしい”が、ホラーとしては弱い
あらすじ
お笑い芸人のゆりやんレトリィバァが映画監督に初挑戦した作品。「好きになられたら終わり」という「禍禍女(まがまがおんな)」を題材に、ゆりやん自身のこれまでの恋愛を投影しながら描き出す。
映画.comより一部抜粋
主人公不在の物語

怪異「禍禍女」にまつわるエピソードが、オムニバス風の複数視点で語られる構成です。
これがたとえば「リング」のように、貞子を中心に物語が展開されるならもっと観やすかったのでしょうね。
ただ、本作の場合はそうじゃないからややこしい。
怪異としての「禍禍女」は、意外にも物語の中心ではありません。
それどころか、オチ的には、むしろ脇役に近いポジションと言ってもいいくらいでした。
そのせいで本作においては、オムニバス的な構造を横ぐしにする「柱となる視点やコンセプト」が、弱く見えてしまったと感じられました。
誤解をおそれず言えば、禍禍女は単なる「かませ犬」的な存在にすぎません。
本作の中心は、一見すると禍禍女であるように見せかけて、実は人間の女の怖さのほうを描くことに主眼がおかれています。
しかし、人間の女性の怖さが本格的に描かれ始めるのは終盤であるため、そこに至るまでの時間が退屈なのです。
映画タイトル「禍禍女」は、なぜ「禍々女」ではないのか?

本作において、怪異としての「禍禍女」は主役ではありません。
そうではなくて、ある男性に狂った愛情を一方的に向ける美大生・上原早苗(南沙良)こそが「(本当の)禍禍女」であるという設定こそが、本作のコンセプトです。
つまり、怪異よりも、リアルな人間の女性の情念のほうが恐ろしいことを描いています。
本作において「禍」は一つじゃないのです。
怪異としての「禍」と人間の「禍」が並立して、両者が一人の男性を巡って対立するから、「禍々」ではなく「禍禍」という記載になっているのかもしれません。
物語の方向性は、終盤まで明かされない

物語をドライブさせる重要な要素である、上原早苗(南沙良)こそが、生ける「禍禍女」であることが明かされるのは物語終盤。
彼女の異常な行動が明かされることで、物語の中心が「禍禍女」から「上原早苗」に途中でシフトし、「禍禍女 vs 上原早苗」という対立軸も明確になります。
この辺りから、ようやく視聴の軸が定まって物語にも乗りやすくなるのですが、映画の時間配分としては失敗だと思います。
「人間の怨念が、怪異に勝る」という発想は面白い。
しかし、いかんせんそこに至るまでの物語の見せ方が冗長すぎました。
序盤の望月瑠美とのエピソードはもっと圧縮して、より早い段階で早苗vs禍禍女の対立軸が明確になったほうが、退屈せずに観れたと思います。
ゆりあんの映画というより、南沙良の映画という印象になっている

本作は、南沙良のおかげで映画として成立していたと言っても過言ではありません。
彼女の演技が迫真すぎて、終盤はスクリーンにくぎ付けになりました。
近年のホラー作品で言えば『サブスタンス』のデミ・ムーアを観たときと同じくらいの衝撃。
映画そのものには思うところが色々あるけど、本作の南沙良の振り切れ具合はとんでもないものです。
ゆりやんレトリィバァの持ち味である、ある種の狂気的な世界観を、彼女が見事に体現しています。
あまりにも彼女の存在感がすごすぎて、本来ならコンセプト的には「ゆりやんレトリィバァの映画」という印象になるはずの作品だけど、これは完全に南沙良の映画になってしまった感があります。
ゆりやん的には、内心めちゃくちゃ悔しいのではなかろうか。
ゆりやん“らしい”が、ホラーとしては弱い

ゆりやんが撮るのだから、「ただのホラー」では物足りないだろう。
「ありきたりの映画」では物足りないだろう。
と、肩に力が入った状態で制作した作品なのだろうと想像します。
かくして、その期待には完全に応えられており、本作はたしかに、ステレオタイプな「ゆりやん“らしさ”」を感じる映画でした。
振り切った過激な演出があり、あえて雰囲気を壊すような笑いの要素も見られます。
しかし、それは「本格的な映画演出ができない故の、お茶濁し」にも見える展開でした。
タラレバの話だけど、もしも、前半を有無を言わせぬ本格的なホラーとして完璧に仕立てたのちに、後半でそれを裏切って、ゆりやんらしさが飛び出してくるような展開にできれば、大絶賛の映画になっていたでしょう。
でも、そうではありませんでした。
ホラーとしての前半が、致命的に弱かった。
冒頭で、禍禍女の犠牲になる鈴木福が、しょんべんをまき散らしながら倒れる、映画としては安っぽいコントのような演出を選んだ時点で、本作の天井が決まってしまったのだろうと思います。
終盤に南沙良が怪演した、陰毛を焼香のように捧げたり、ローションまみれになって肛門にダイブするような奇抜さは、前半がホラーとして本物であればあるほど、監督ならではの個性として魅力的に映っただろうと思うので、その点は残念でした。
(最後に一言)
「次は映画監督」というキャッチコピーが象徴するように、そもそもタレントとしての1発企画として挑戦したことだと思いますが、本作をもって「ゆりやんは、映画も撮れる」と、ブランディングが強化されていくとしたら、いち映画ファンとしてはモヤモヤした気持ちが残ります。