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『おーい、応為』感想:女性が自分らしく生きるのが、いまよりも大変だった時代の話

『おーい、応為』ネタバレ感想。応為と北斎の関係、応為の生き様について解説します。

『おーい、応為』感想

主人公「お栄(応為)」の父は、葛飾北斎。
言わずと知れた、世界に名を轟かせる浮世絵師です。

ここからの話は、実在の話は抜きにして、あくまでも映画の応為から受けた印象として語っていこうと思います。

セリフがかなり少なく、好き嫌い別れそうなタイプの作風ですが、個人的には良い映画だと思いました。

 

あらすじ

浮世絵師・葛飾北斎の娘であるお栄は、ある絵師に嫁ぐが、かっこばかりの夫の絵を見下したことで離縁される。北斎のもとに戻ったお栄は、父娘として、そして師弟として、北斎と生涯をともにすることになる。2人が暮らす貧乏長屋は画材や絵で散らかり放題で、茶も入れられず針仕事もできないお栄だが、絵の才能だけは父親譲り。北斎から「おーい、筆!」「おーい、飯!」と何かと頼まれることから、「応為(おうい)」という号を授かったお栄は、当時としては珍しい女性の浮世絵師として、絵を描くことに生涯を捧げる。

映画.comより一部抜粋

長澤まさみ演じる「応為」が、粋で魅力的

映画冒頭、いきなり応為が夫と離縁するところから物語は始まります。

「北斎の娘で悪かったな!」と吐き捨てて、家を飛び出す応為。

往来を練り歩いて、実家に戻る応為を正面から捉え続ける力強いカットで、物語に一瞬で引き込まれます。

長澤まさみの圧倒的な存在感。

目を奪われる、ってこういうことだと観客はみんな思い知らされるはず。

 

応為の出で立ちは、男物のような飾り気のない着流しで、毛先もボサボサの無造作なスタイル。

そして一人称は「俺」。

いかにも男勝りなキャラクターなのに、彼女の持つオーラやスタイルの良さ、眼差しの力強さ、着物の裾からのぞく足首など、端々から女性としての魅力が漏れ出てしまっているところが、アーティスト「応為」としての魅力を形作っていたように思います。

 

応為が魅力的であればこそ、彼女に宿る浮世絵の「才」が、彼女の身に宿る「女」を超越していく様が、より真に迫ったものとして映ります。

また、背後に流れるジャズ調の劇伴も、応為の進取性ある芸術の気風と合っており、時代劇の雰囲気に不思議と馴染んでいました。

芸術の面で、父親以上に尊敬できる男性を見つけられなかった

北斎と応為の関係は、単なる父娘や師弟の関係を越えたものとして描かれます。

娘である応為は、葛飾北斎の絵を見て育ってきたので、自ずと審美眼が磨かれたのでしょう。

もちろん、受け継いだ血もあったと思います。

 

そもそも彼女が離縁したのは、絵師である夫の絵を批判したことが原因です。

彼女の美意識は、絵の下手な夫との生活に耐えられませんでした。

恋愛、ましてや結婚ともなれば、相手へのリスペクトが必要です。

 

ただ、彼女のなかでリスペクトの基準となる要素が「芸術的な感性」であって、その鋭さで父親の「北斎」に勝る男がいなかったことは、彼女にとっての幸運であり不運でした。

端的に言うと、彼女は父親ほど尊敬できる才能を持つ男に巡り会えなかったのでしょう。

父親譲りの浮世絵の才能が、彼女を「一人の女としての幸福」から遠ざけてしまった。

 

この映画、時代劇だからそれを意識させにくい見た目になっていますが、これが現代劇だったら、めちゃくちゃファザコンな娘の物語に見えると思うんですよね。

ただ、そんな異様なまでに濃密な父と娘の距離感が、本作の何よりの魅力なのだろうとも思います。

 

北斎が彼女に「応為」の画号(絵師としてのペンネーム)を与えるシーンで、言葉が少ないながらも、北斎が応為の絵師としての成長を喜んでいるであろう姿には心温まりました。

全編通して、極端にセリフの少ない映画だからこそ、その落差も相まって、ラスト付近に応為が、北斎への想いをまくしたてるシーンでは、彼女の言葉が強く胸に響きました。

「応為」は、画号であり、彼女が自分らしくいられる居場所でもあった

冒頭で、北斎に女性の足の指の描き方を教えるシーンが象徴的ですが、応為は芸術家気質でありながらも、自身が女性であることを切り離せません。ときには恋もしてしまう。

しかし、彼女は当時の女性に求められていた料理や片付けなどがロクにできません。

女性に対し社会的に求められる役割に反して、「絵を描きたい」という自分の衝動を認めるまでにも、相当な葛藤があったことが劇中では示されます。

 

彼女が北斎と生活し続けたのは、女性の絵師が認められづらかったであろう時代性のなかで、葛飾北斎のアシスタントであることが、彼女を「女」の役割から解放し、「絵師の応為」として、自分らしくいさせてくれる場所になっていたからではないか。

 

本作は、北斎のほうが主役らしく目立っていたという感想を書く方もいらっしゃいます。

それは応為にとっての北斎が、父親であり、師匠であり、居場所でもあったからでしょう。

彼の存在感が際立って感じられたのは、まったく正当な感想だと思います。

 

北斎の死後の、応為の記録が残されていないという結末も、北斎あっての応為だったことを物語るようです。

女性が軽んじられる時代だったから仕方ないのかもしれませんが、晩年の応為はどうなってしまったのか…、彼女の行く末に思いを馳せてしまいました。

 

稀代の天才であり偏屈人間だった葛飾北斎が、娘に対しての同情からではなく、その実力を認めて「葛飾応為」という画号を与えたことは、北斎を尊敬する応為にとってこの上ない承認であったと思います。

それは、彼女が絵師として生きることを祝福された瞬間でもあり、彼女の一生を決定づけた瞬間でもあったのだろうと想像するのでした。