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『地獄に堕ちるわよ』感想:過剰な演出の必然性。第三者的な魚澄美乃里の存在理由とは?

Netflixオリジナル『地獄に堕ちるわよ』ネタバレ感想・考察。細木数子の半生を描いた本作の評価や、ラストの愛犬ティアラが消える演出の意味などについて語っています。

『地獄に堕ちるわよ』感想

観始めた当初の印象は、かなり悪い作品だった。

※その際に投稿したXでのポストはこちら

これみよがしの不協和なBGMやニワトリを象徴的に見せる演出など、露悪的な表現に胸やけしそうだった。

ただ、全話観終わった現時点では、悪くないドラマだったと思っている。

監督は、細木数子が嫌いだった

主張の激しい不協和なBGMの多用。

善人ぶるときの数子の三文芝居的な(あえての)大味な演技。

暗喩表現をセリフで説明してしまう無粋さなど、随所に「B級」っぽさが感じられ、観始めた当初の評価はあまり高くはなかった。

 

ただ、細木数子という題材に対する、悪意すら感じる過剰な演出の意図について、監督の瀧本智行氏のインタビュー記事を読んで納得がいった。

彼は、細木数子が嫌いだったらしい。

瀧本智行監督(以下、瀧本):正直に言うと、細木さんのことが嫌いだったからです。それで「もっとふさわしい方がいっぱいいるから」と断ったのですが、再度お願いされて。その時プロデューサーから「(細木さんを)嫌いな人が撮った方が、絶対面白いものになると思うんです!」と殺し文句を言われて、絆されてしまいました(笑)。

ダ・ヴィンチWebより

 

瀧本氏は、細木数子を嫌いなところから仕事をスタートした。

しかし、製作に関わり細木数子の過去に触れることで、彼女に対する感情は僅かかもしれないがニュートラルに近づいていったのだと思う。

個人的には、4~5話くらいから、攻撃的な毒気は抜けていったような感覚を持っている(説明的な演出のクセは最後まで抜けなかったが、悪意は薄らいだ印象だ)

 

時代や女性差別的な価値観に翻弄され、辛酸をなめることも多い前半。

他者を騙し利用する側となり、金と権力を掌握せんとする後半。

上り調子のときも転落したときも、転んでも決してタダでは起き上がらない、細木数子の生きざまにすっかり魅了されてしまった。

良い意味でも悪い意味でも、改めて「すげー人だったな」と思う。

作家の魚澄美乃里は、瀧本監督を投影したキャラクター

本作における、細木数子を取材する作家の魚澄美乃里(伊藤沙莉)は、監督自身の投影だ。

瀧本監督は細木数子の実態に迫り、彼女を理解しようと努めたが、最後には決別する。

その監督自身の思考のプロセスは、魚澄美乃里があくまでも「私の物語」として、細木数子を描こうとする結末として現れている。

細木数子的なものの存在を、認めはするが受け入れないというスタンスが、最後まで貫かれていた。

個人的には、自分に被害が及ばない限りは、細木先生のような豪快な人物は好きだし、あの人の視点は的を得ていたことも多かったと思っているが、本作は自分とは異なる考えの人の創作物として、一貫性があり納得できる内容だったと思う。

愛犬ティアラは、なぜ消えるのか?

最後に描かれた、愛犬ティアラがいなくなる演出は、彼女の周囲から大切にしているものが失われることを暗示するとともに、彼女が「ティアラ(冠)=権力の象徴」を失ったことも表したものだと受け取った。

著名人としての細木数子はあの時点が天井で、週刊誌での批判を境に下り坂に入ったということだろう。

ドラマの結びとして、晩年の細木先生が、幸福な老後を過ごしていたかもしれないことを示す事実が提示されるのは、彼女を嫌いだといいつつも、監督自身が個人としての細木数子をしっかりとリスペクトしたうえで、本作を製作していた故のことだと感じられた。

(2話まで観た時点の感想では、リスペクトが感じられないと書いたが、それは訂正したい)