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『てっぺんの向こうにあなたがいる』感想:人生は「下り道」を、どう歩くかで決まる

『てっぺんの向こうにあなたがいる』ネタバレ感想です。本作が描きたかったテーマについて解説しています。

『てっぺんの向こうにあなたがいる』感想

女性で初めてエベレストの登頂を成功させた登山家・田部井淳子をモデルにした物語。

本作では、田部井淳子ではなく、「多部純子」という名前になっていることからも明らかなように、あくまでも事実を元にした創作であることが強調されています。

ただ、大まかな個人の人生の流れとしては事実を踏襲しており、ドキュメンタリーのような趣もある作品となっています。

 

事実をもとにしているため起承転結はゆるいのですが、「てっぺんの向こうにあなたがいる」というタイトルに対して、非常に納得感のある物語となっています。

エベレスト登頂により、一躍時の人になった純子の人生が、一歩一歩、丁寧に語られます。

 

あらすじ

1975年、エベレスト日本女子登山隊の副隊長兼登攀隊長として、世界最高峰エベレストの女性世界初登頂に成功した多部純子。その偉業は世界中を驚かせ、純子自身や友人、家族たちに光を与えたが、同時に深い影も落とすこととなった。登山家としての挑戦はその後も続き、晩年には闘病生活を送りながら、余命宣告を受けた後もなお、純子は笑顔で周囲を巻き込み、山に登り続けた。

映画.comより一部抜粋

過去と現代で、2人の役者が1役を演じる

本作は時間の流れがダイナミックであるため、多部純子が若い時代と老年になった時代で、周辺の登場人物も含めて、1役を2人の役者で演じています。

この配役が見事にはまっていて、時制の混乱もおきず、感情移入の妨げにもならず、上手く機能していました。

 

多部純子→吉永小百合 / のん

多部正明→佐藤浩市 / 工藤阿須加

北山悦子→茅島みずき / 天海祐希

 

佐藤浩市の若い頃として、工藤阿須加が当てられているのは意外だったが、並べて観ると意外としっくりきました。

北山悦子役の2人はどちらも長身で、モダンなファッションの着こなしが抜群でした。

 

そして、吉永小百合の青年期を演じた”のん”が、やはり素晴らしい。

瞳の輝きに通づるものがあったし、何より吉永小百合のまばたきのクセや伏し目がちに話すときの演技の雰囲気などを上手く取り込み、面影を感じさせていたのは流石。

本作は時制が行ったり来たりする構成になっているので、青年期と現代の切り替えに違和感がなかったことが、映画としての質に直結していたと感じます。

佐藤浩市の、多くを語らない姿に胸を打たれる

純子は1939年生まれです。

この世代は、映画の冒頭でも描かれますが、男尊女卑と言いますか、女性の権利や社会活動が軽んじられるご時世でもありました。

そんななかで、夫の正明(佐藤浩市)が彼女の挑戦を自分の人生をなげうって応援したことは、これ自体が奇跡のようなことだったのかもしれません。

正明の「ぼくの趣味はお母さん(純子)のやりたいことを応援すること」という言葉に、想いが凝縮されていたように感じましたし、それが、余命を宣告されてもやりたいことに向かって前に進み続ける、純子の生き方とも呼応していました。

立ち止まらない人は、孤独になる

目的に向かって何があっても前進し続ける純子は、ある種、超人です。

彼女は立ち止まらないからこそ、時代を代表する女性像として注目されましたが、孤独でもありました。

 

そんな彼女にとっての心の拠り所は、家族と友人の北山悦子でした。

ヒマラヤ登頂成功のあと、純子だけがスポットライトを浴びる現状に嫌気が差して、仲間たちは彼女の前から去りました。

でも、新聞記者として帯同していた悦子だけは、彼女と関係を持ち続けます。

悦子もまた、その時代に「女だてらに」記者として身を立てた女傑だったのだろうと思います。

だからこそ、純子と通じ合うことができたのでしょう。

純子が歩き続けられたのは、単に"山が好きだから"だけではない

過酷な山道も、余命を告げられた人生の険しい道も。

純子が困難に遭っても立ち止まらずに歩き続けられるのは、「てっぺんの向こうに」会いたい人たちがいるからです。

 

登山家は、しばしば、危険な登山を渇望するジャンキーのように描かれることもありますが、純子はそういう描かれ方をしません。

晩年の純子は、体力の衰えや自らの病気を受け止めて、自分なりの山との向き合い方を楽しみます。

あとから来た登山者に追い抜かれながらも、夫と2人ののんびりした登山を楽しんでみたり、悦子と山でキャンプをして歌やお酒を楽しんだり。

 

純子の強さは、登頂をゴールと思っていなかったことなのでしょうね。

登頂して、下山した先で待っていてくれる友達や家族に会えることを何よりも幸せに感じていたように思います。

冒頭のヒマラヤからの帰還シーンでも、人目をはばからず娘を抱きしめる姿が、そのワンショットで多部純子という人を印象付けるような演出となっていました。

人生は「下り道」を、どう歩くかで決まる

実際の出来事をもとに作られているので、100%の創作物に比べるとやや冗長さはありました。

終盤、富士山の8合目くらいで純子が「私はここまで」と言って、空を眺めるあたりをピークにしたほうが、時代のヒーローとしての多部純子を描くぶんには綺麗だったかもしれません。

 

でも、山にも人生にも「下り」が存在することから逃げなかったのは、本作の美点だと思います。

静かに人生を下っていく純子と、見守る家族の姿に、個人的にはぐっと来ました。

 

母親を見守る息子(若葉竜也)の精神的な成長が並列して描かれるのも、物語的には冗長ですが、多部純子にとってはそれも重要な人生の1ページなのだと理解できます。

病床での2人のやりとりは、純子が息子に支えられながら山を下っていく姿のようでもあり、まさしくタイトルの「てっぺんの向こう」を象徴する穏やかなシーンになっていました。

 

登山家としての純子のピークはエベレストに登頂成功して、メディアに注目された時だったと思います。

しかし、人間「多部純子」のピークは、成長した息子の後ろ姿を見たときかもしれないし、夫とのんびり山道を楽しむ穏やかな時間だったかもしれない。

あるいは、親友の悦子とキャンプして歌っていたときかもしれません。

 

実在のモデルがいるかいないかに関わらず、一つの人生譚として素晴らしい作品だったと思います。

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