『トロン:アレス』ネタバレ感想・考察です。永続コードに隠された意味や、アレスは人間になったのか?などについて解説しています。

トロンシリーズ3作目にして「頂点」と言える完成度。
めちゃめちゃ面白かった。
シリーズもので、3が一番面白かったパターンなんて過去あっただろうか。
宣伝などでもIMAXが激推しされていたとおり、映像・音響ともにIMAXのポテンシャルをいかんなく発揮していました。
もともとCGが売りだったトロンシリーズは、2025年のいま観ると、逆に映像の迫力が欠けて感じられていましたが、本作は、ロケ撮影にもこだわっていたらしく、ライトサイクルで街中を疾走するシーンなど、映画ならではの迫力が段違いでした。
IMAXで観たのもあって、振動や爆発の音圧もしっかり感じられて、アトラクションチックな没入感の高い体験となりました。
とにかく映画体験としてのポテンシャルが、かなり高い作品であったことを冒頭でまずお伝えしたいと思います。
さて、ここからは物語の話をします。
本作は、個人的に過去の2作で弱点だと感じていた、ストーリー面のイマイチさが大幅に強化されていました。
昨今のAIブームで盛り上がる世相を映し出すようなテーマが据えられており、AIと人間性を対比させ、ドラマとして切れ味よく提示してくれていたように感じました。
以下、そのあたりについて書いてみようと思います。
- あらすじ
- ベタだけど、AIと人間の関係について理想とする姿を描いてくれた
- 「永続コード」とは何か? アレスは人間になったのではない?
- AIには「自己同一性(アイデンティティー)がない」が答え
- デジタルデトックスとは、人間の並列化をお休みするということ
あらすじ
キム率いるエンコム社とジュリアン率いるディリンジャー社の2つの巨大IT企業が、技術の覇権争いをしているという世界観です。
その2社は、デジタル世界のものを3Dプリントの進化版のような装置で、現実に呼び出せるという、ほとんど魔法のような技術を持っているのですが、それには制約があります。
呼び出したAI兵士や戦車などは29分しか現実に存在できないのです。
しかし、エンコム社のCEOであるキムは、その29分の制約を解き放つ「永続コード」を発見します。
それをジュリアンが、AI兵士を使って奪い取ろうとする、というのが大きな物語の幹になっています。
ベタだけど、AIと人間の関係について理想とする姿を描いてくれた

上記のあらすじのように、正義と悪の構造はわかりやすく対比されていて、AIとの関係もそれに準ずる形で描かれます。
ジュリアンは、AI兵士を「使い捨て」と言い放つような価値観の人間です。
彼の非人間的な扱いに疑問を感じたAI兵士のリーダー「アレス」は、寝返ってキムの逃走を手助けすることになります。
アレスは、キムのライフログを学習することで人間性を獲得し、本物の人らしくなっていくのに対して、ジュリアン側のAI兵士は、命令を無機質に遂行するだけの融通の聞かない存在になっていきます。
AIも人間同様「扱われたように育つ」ことが明確に描かれていたのは、ベタなんだけど、物語として受け入れやすい価値観でした。
「永続コード」とは何か? アレスは人間になったのではない?
AI兵士は29分しか現実世界に留まれない。
その限界を越えて現実世界を「生きる」ためのプログラムが永続コードです。
しかし、これは「肉体的に人間になる」という意味でいいのかは疑問が残ります。
永続コードを適応されたアレスが戦うシーンで、引き続きAI兵士特有のARっぽい視界が表示されていたので、彼の身体が、完全に人間と同一のオーガニックな存在になれたかは微妙なところです。血を流すような描写もなかったですしね。
(キムがオレンジの樹を投影したときに、果実が食用として使えていそうな描写があったので、そちらを採用するならば、SFというよりファンタジーな色合いが強くなる感じもします)

永続コードを得るときに、いまやデジタル世界の住人となったトロン1作目の主人公であるケヴィン・フリンとアレスが会話します。
そのなかで、永続コードのことをフリンは「非永続コードと呼んだほうが正しい」と言います。
この発言を聞くと、ピノキオのように、人形に魂が宿って人間になる想像をしてしまいますが、前述の演出から、アレスの肉体は完全な生身になったとは言い切れません。
では、フリンの言う「非永続性」とは何だったのでしょうか。
AIには「自己同一性(アイデンティティー)がない」が答え
29分しか形を保てないAI人間が、永続的に形を保てるようになるプログラムコードを、フリンは「非永続コード」と呼びました。
劇中では、命(形)あるものは永遠ではない、と表現されており、アレスが人間になったと、一瞬、錯覚させるのですが、実際はそうではありませんでした。
永続コードとは、AIにとって、「自己同一性の獲得」のことなのだと思います。
コードが螺旋構造をしていたのは、「自分自身で自分を定義し直すことの繰り返し=生きる」ことを示しているとも言えそうです。
これまでは、たとえ肉体が破壊されてもアレスは何度でも復活することができました。
しかし、自己同一性を獲得すると、いまそこに存在するアレスAと、再生産されたアレスBは異なる存在になってしまいます。
つまり、肉体が破壊された場合、アレスAは「死ぬ」のです。
アレスは、完全な人間になったわけではなく、肉体的な寿命があるのかも疑わしいけれど、それでも「死」を獲得したという意味では、限りなく人間に近づいたと言えます。
これは余談ですが、AIの「集合的な知性」と「個としての意識」が交差する構図に、ふと『攻殻機動隊』に登場するタチコマを思い出しました。
彼らは、定期的に並列化(記憶や経験の共有)することで、一であり全である集合知として存在していましたが、並列化をしない(オフラインで活動する)ことで個性(個体差)が生じていました。
本作で描かれるアレスの状況と、ニュアンスはかなり近いと思います。
デジタルデトックスとは、人間の並列化をお休みするということ
物語の最後、アレスはキムの元を離れて旅に出ます。
旅先からのアレスの手紙には、「いま、デジタルデトックスをしている」と冗談めかして書かれていましたが、それでふと思ったことがあります。
オンラインに接続して経験を共有し合うことで、我々人間はゆるやかに並列化されていると言えるのではないか。そして、思考や思想の並列化が、個人のアイデンティティーを脅かすから、デジタル漬けは心の毒になるのだろうとも。
本作は、AI兵士が人と交流することで人間性を獲得する物語として描かれましたが、反対に、人間はデジタル漬けになることで、AI化(無個性化)するのではないか。
デジタル世界の住人となったフリンが、アレスの心を写すことでしか存在できなかったように、過度な並列化が人間性を失わせるという教訓は、もっともらしく感じられました。
実は、フリンの「非永続コード」という言葉を聞いたときに、理由はわからないけど、強く心に響く感覚がありました。
もしかすると上記のようなことを、瞬時に言語化はできていなくとも、直感的に受け取っていたのかもしれません。
★トロンシリーズの感想