『果てしなきスカーレット』ネタバレ感想・考察・レビュー。本作を支持する立場から、酷評の理由やスカーレットの踊りの意味、竜とは何かなど、解説しています。

ハムレットをモチーフとした意欲作。
主人公のスカーレット(芦田愛菜)は、原作と異なり女性になっています。
そして冒険をともにするバディ役として、看護師の聖(岡田将生)が登場。
スカーレットが現代人の聖と関わることで、原作の主人公“ハムレット”が至れなかった、見果てぬ場所(新しい結論)へと至る、というのが本作の見どころです。
SNSで過激な酷評も出回っている本作ですが、細田守作品のなかでは、個人的に一番好きな作品になりました。
とはいえ、酷評されることについても理解はできるので、今回は自分的に物語にしっくりきた部分と酷評されそうな点について、それぞれ語ってみようと思います。
前半は、自分なりの物語の解釈を書いて、後半でネガティブな点にも少し触れてみます。
- あらすじ
- 純粋にアニメーションとしてすごい
- スカーレットのキスには、キス以上の意味がある
- スカーレットが渋谷で踊る意味
- 現代人である聖が登場する意味
- To be or not to beを越えた先にある、本作で示したかったメッセージ
- 本作は、なぜ酷評されるのか
- まとめ:細田守の弱点を、シェークスピアが補っている
- 余談①聖が殺生してしまう件について
- 余談②竜の正体について
あらすじ
父を殺して王位を奪った叔父クローディアスへの復讐に失敗した王女スカーレットは、「死者の国」で目を覚ます。そこは、略奪と暴力がはびこり、力のなき者や傷ついた者は「虚無」となって存在が消えてしまう世界だった。この地にクローディアスもいることを知ったスカーレットは、改めて復讐を胸に誓う。そんな中、彼女は現代日本からやってきた看護師・聖と出会う。戦いを望まず、敵味方の区別なく誰にでも優しく接する聖の人柄に触れ、スカーレットの心は徐々に和らいでいく。一方で、クローディアスは死者の国で誰もが夢見る「見果てぬ場所」を見つけ出し、我がものにしようともくろんでいた。
映画.comより一部抜粋
純粋にアニメーションとしてすごい

CGのような漫画のような実写のような、不思議なバランスのルックに魅了されました。
軍勢や群衆の動きも、一人ひとりが動いているようで躍動感があった。
そしてバトルアクションが抜群に良いです。
プロのアクション演出家も入れて作っていただけあって、武器と肉弾を織り交ぜた、純粋な命の奪い合いとして描かれる殺陣が美しかった。
スカーレットの稲妻のような蹴りや武器の投擲は、見ていて爽快でした。
(スカーレットの動きは、ベビわるの伊澤彩織さんのアクションらしいですね。それを知ってなるほど!と思いました)
ダンスの動きも素晴らしい。
モーションキャプチャーを使って作っているみたいですけど、特にフラダンスの動きなどは真に迫っており、アニメでこんなことできるんだ、という驚きがありました。
ここから先は、物語的部分について深堀りしていきます。
スカーレットのキスには、キス以上の意味がある

劇中で、スカーレットと聖の関係は淡い恋愛として扱われているように見えますが、実は深く結ばれた関係として描かれていると感じられました。
スカーレットが生きる1600年代は、女性の貞操観念は今では考えられないほどに封建的でした。
夫でない人に自らキスをするという行為は、現代劇的なキス以上の意味を持つと考えても良いものだと思います。
それを示すシーンが劇中に一瞬だけ描かれていて、スカーレットが治療のために腕をはだけることを恥じらっていたシーンがありましたよね。
二の腕を見られることすら恥ずかしい彼女が、自らキスをしたのだと考えると、その意味を受け取りやすいと思います。
スカーレットが渋谷で踊る意味

突如、差し挟まれる、聖の歌を聴いたスカーレットが、現代の渋谷で鎧姿ではなく普通の女の子の格好をして聖とダンスするビジュアルに、面食らった方も多いのではないでしょうか。
これは、彼女の心境に劇的な変化があったことを示唆するためのミュージカル演出で、彼女が自分の内にある願望や可能性に気がついた瞬間だと言えるでしょう。
また、ここまでお伝えした理屈を踏まえて、渋谷のシーンを想い出してもらうと、ノースリーブの服を着てショートカットの髪型をしたスカーレットは、血なまぐさい復讐心から解き放たれ、古い価値観からも介抱され、一人の女性としての存在が強調されていたことも感じられると思います。
このあとスカーレットが、夢で見た自分の姿に合わせて、髪を短くカットするのは、彼女の決意や心の成長を示す表現として、非常にしっくりきます。
現代人である聖が登場する意味

本作が、原作と大きく異なる点に、聖の存在があると思います。
聖を登場させた意味は、彼の現代的でリベラルな価値観の伝播を通じて、原作のハムレットが至れなかった、見果てぬ場所へとスカーレットを導くことです。
キャラバンとの接触時に、彼は人種や文化を越えた交流をしていました。
歌や踊りという文化が、その媒介として機能していたのは原始的でもあり現代的でもあり、まさに過去と現代をつなげる演出となっていたようにも感じました。
見果てぬ場所は、敵方の解釈としては「現世(生き返ること)」への入口のような場所として描かれますが、個人的には、ハムレットにおける有名なセリフ「To be or not to be, that is the question.」を超越した先にある、物語の新たな可能性を意味するものだと思えます。
劇中の言葉に言い換えれば、それはスカーレットが「自分を赦す」ことかもしれないし、一人の女性として生きることができた「可能性」に気づくことなのかもしれません。
To be or not to beを越えた先にある、本作で示したかったメッセージ

聖という現代人の存在が、物語に新しい選択肢を持ち込みました。
ここでは具体的に、スカーレットの結論は、原作とはどう変わったのかを整理してみます。
原作の脚本では、「To be or not to be, that is the question.(生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ)」。生きるべき、死ぬべきと、使命感めいた表現が使われています。
※翻訳によって、言葉のニュアンスは様々あると思うのでご了承ください
ここでのto beとは、クローディアスへの復讐を諦めその屈辱に耐え忍ぶこと=生き延びることであり、not to beとは、感情のままに復讐へと向かう=命を落とすことです。
本作でもスカーレットは、復讐すべきか、せざるべきか、その選択を天秤にかけて苦悩します。
しかし最後には、父が一人の女性としてスカーレットに生きることを望んだように、彼女は自分自身を赦し、復讐から解放されます。そして、自らの意思で「生きたい」と声をあげる。
生きるべきではなく「生きたい」という個人の意思を感じさせるニュアンスに、現代らしさが宿っています。
スカーレットは、原作ハムレットのシナリオには存在しなかった、“生き延びてデンマークの王になる”という、まったく新しい可能性(人生)を選びとってみせるのです。
物語としてはすごくベタかもしれないですが、エンタメ的な清々しさとメッセージ性が上手く融和した幕引きだと思いました。
本作は、なぜ酷評されるのか

率直に言えば、本作はコンセプトは面白いのですが、脚本に難があったと考えます。
まずスカーレットが落とされた死後の世界は、過去も未来もない、時間を超越した空間として描かれます。
時間を超越しているから、スカーレットが倒れたあとに死んだはずのクローディアなども、この世界に同時に存在している、という理屈があって物語が成り立っています。
この辺りの状況設定が、謎の存在である呪術師のような風体のオババによって、冒頭で超説明的に語られるのは、映画的には決して上手くない演出であると言えます。
あと、世界観の描写がかなり割愛されています。
冒頭にスカーレットが落とされた死後の世界の俯瞰映像などが流れますが、そこで人が生きていくイメージはわきません。
その後、キャラバンと出会って、水や食事を提供してもらうシーンが出てくるのですが、その水と食料はどこから出てきたの?という生活感は、やはり見えず…
のちに大群衆や大軍勢も登場するのですが、これだけ大勢の人々が、どこで食料を調達して生活しているのかが想像しがたい世界観となっています。舞台となる死者の国の世界観が描ききれていないのです。
細田守作品は、総じて生活感の描写が薄味な傾向にあると思いますが、これまでは現代劇の要素が強かったので、観る人が想像で補える割合がまだ大きかったのだと思います。
ところが本作は99%異世界モノなので、いつもはギリギリ理解されていた部分が、一気に「話の流れがわからない」へと傾いてしまったのでしょう。
観る人が行間を補完しづらく、なおかつ場面転換が頻繁に起こるので、全体がダイジェスト映像っぽくなっていました。
たとえば、聖書などを読むとエピソードがバラバラのために、ひとつの物語としては受け取れないと思います。
本作は仮にも映画なので、そこまでではないにせよ、かなり物語に没入しづらい構造になっていたことは確かです。
ただ、本作のような、やや不連続に見えるシーンの連なりは、古い漫画や映画に見られる語り口にも近いもので、受け手の慣れにより、印象が大きく変わるところだとも思います。
あとは、なぜ聖だけがあの世界に迷い込んだのか分からないことかな…
こういう物語の舞台を整えるための嘘というか、ご都合的な設定に対しては、個人的には、まぁいいじゃないですかという気持ちもあるのですが、上記したような、様々な粗さが積み重なることで、そこに目をつぶれなくなる人が多くなってしまったのかもしれません。
まとめ:細田守の弱点を、シェークスピアが補っている

ハムレットという悲劇の主人公が、「生きるべきか、死ぬべきか」という、出口のない二択の煉獄に囚われているという導きは物語的にもスムーズだったし、そのハムレットに対して、現代のリベラルな価値観を与えることで、第三の選択肢を選び取らせるという方向づけも共感しやすいものでした。
古典の物語に残された「宿題」「課題」を見つけて、そこに現代的な答えを当ててあげるというのは、創作的にはよくあることなのかもしれませんが、本作はそれが上手く機能していました。
細田守監督の作品は、「テーマは描くが、主張がない」傾向にあり、そこが物足りなく感じていたのですが、古典を取り込むことでその点が上手く補われていたように感じました。
自分としては、粗さは感じつつも、細田守の最高傑作と言える作品になっていたと思います。
余談①聖が殺生してしまう件について

彼が死んだのは、通り魔から子どもを守ろうとしてのことでした。
生前の聖は、子どもたちを庇って盾になることしかできませんでしたが、彼は、スカーレットが危機に陥ったとき、弓矢で敵を討ちます。
聖は、自ら敵を討ち倒すことで、今回は守りたかった者の無事を確認することができました。
看護師の職業倫理には反する行為だったでしょうが、これは聖が抱える、生前の未練を晴らす行為であり、彼にとってのto beだったとも思えます。
余談②竜の正体について

争いが起きた際に、竜が現れ悪人に対して裁きの雷を落とすシーンが何度か描かれます。
とあるシーンで、明らかに平地にいたはずのスカーレットと聖に対して、雷が落ちなかったことから、この雷の攻撃対象は無差別ではなさそうです。
そして、最後にはその竜は、無数の鳥の集合体だとわかります。
鳥の集合と言えば、つい「烏合の衆」という言葉を想像してしまいますが、ここでは集まった鳥が竜となり、その雷は触れたものを一瞬で虚無化してしまうほどに強力です。
これは人々の結束の力の強さを示しているのかもしれないと感じました。
最後に、謀反を起こして王となったクローディアスが雷に撃たれるのは、悪い王が革命によって玉座から引き下ろされる、歴史の一幕を想像させるものでもありました。
映画感想邦画細田守芦田愛菜岡田将生役所広司山路和弘柄本時生青木崇高染谷将太白山乃愛白石加代子吉田鋼太郎斉藤由貴松重豊市村正親宮野真守津田健次郎
★細田守監督の他作品の感想はこちら