『平場の月』ネタバレ感想・考察・レビュー。青砥は須藤の嘘をなぜ見破れなかったのか、須藤の思う「夢みたいなこと」とは何だったのかなど、解説しています。

この映画は、観客の誰一人として、真なる意味では青砥に同調できないのではないか。
なぜなら青砥は、信じがたいくらいに鈍感で純朴な男だからです。
原作小説は青砥の一人称で語られる作品らしい。
本作は、青砥の視点を中心に、須藤の視点も入り交じる。
私たちは、基本的に青砥の視点で物語を見ているのだけど、どうもそんな気がしない。
焼き鳥屋の店主がそうしていたように、ただ2人を見守るしかできなくて。
2人を照らす月のように、遠くから眺めることしかできない心地がする。
その、分かっているのにどうにもできない「じれったさ」が、時にはこそばゆくもあり、もどかしくもある、素晴らしい映画体験となっていたように感じました。
- あらすじ
- 須藤の嘘に、なぜ青砥は気づけないのか
- 須藤は鎌田に騙されていたのではない、甘えることで孤独を癒やしていた
- 青砥の優しさに須藤は甘え、夢を見た
- 須藤が考えていた「夢みたいなこと」とは?
- 平場の2人、いきどまりの2人
あらすじ
妻と別れ、地元に戻った青砥健将は、印刷会社に再就職し平穏な毎日を送っていた。そんな青砥が中学生時代に思いを寄せていた須藤葉子は、夫と死別し、現在はパートで生計を立てている。ともに独り身となり、さまざまな人生経験を積んできた2人は意気投合し、中学生以来の空白の時間を静かに埋めていく。再び自然にひかれ合うようになった2人は、やがて互いの未来についても話すようになるのだが……。
映画.comより一部抜粋
須藤の嘘に、なぜ青砥は気づけないのか
6ヶ月検診の報告をするとき、須藤(井川遥)は嘘をついているような気がしませんでしたか?
観客はみんな、その違和感に気がつくと思います。
だから、青砥(堺雅人)がうみちゃんを通じて須藤の訃報を知るまで、真実に気づいていなかったことに違和感を覚える人もいたと思います。
なぜ青砥は、須藤の嘘に気づくことができないのか…

これは想像ですが、あの場面の青砥は、須藤にプロポーズをすることで頭がいっぱいなのだと思いました。
須藤は、青砥にとって初恋の人。
その人にプロポーズするのだから、そりゃ緊張もするでしょう。
一世一代の大告白です。
もしかすると、須藤が渋ることを見越して、説得のためのスピーチを事前に準備していたのかもしれません。
温泉に行く約束は前もって考えていた気がします。
そして青砥の想いとは裏腹に、須藤はがんの再発を青砥に知られたくなくて、全力で隠そうとしたのです。
ここでの青砥の察しの悪さは、創作上のご都合主義に見えなくもない展開です。
しかし、波乱万丈の人生を生き抜いてきた須藤のような女性が、全身全霊で吐いた嘘を、青砥のような純朴な男が見破れるわけがないとするのも、自然な考え方に思えます。
むしろ、そう受け止めたほうが現実の男女的だし、「平場」らしいとも感じます。

無理やり理屈をつけるなら、青砥の母親の葬儀の際に、須藤と元妻(吉瀬美智子)が挨拶を交わす場面がその手がかりになります。
このシーンこそ、青砥という男が、須藤の嘘を見破れないことを雄弁に物語っていると感じました。
元妻は須藤と青砥の関係にたぶん気づいています。
須藤も、それを察知したはずです。
ここでも、気づいていないのは青砥だけなのです。
須藤は鎌田に騙されていたのではない、甘えることで孤独を癒やしていた
彼女は、夫との壮絶な結婚生活と死別を経験します。
そして、遺産として残された自宅を売却した金を、年若い美容師の鎌田雄一に、ほぼ全額貢ぐほどの大恋愛をします。
客観的に捉えると、須藤は騙されているように見えますが、彼女はそうは考えていなかったはずです。

須藤は、幼い頃に母親が家族を捨てて家を出た経験を持っています。
そんな彼女は、中学生にして早くも一人で生きていくと決意し、人間関係にバリアをはって生きてきました。
ただ、世の中には、青砥のように、たまにそのバリアをすり抜けてくる人が現れる。
彼女はそうして、人並みの恋をしてきたと想像できます。
彼女がDVを受けながらも前夫と別れなかったのも、鎌田に貢ぎ続けたのも、母親のように、愛した人を捨てて逃げるような人間になりたくないという、母親への対抗心のようなものが、根っこのところにあった気がします。
須藤のような聡明な女性が鎌田に貢いだのは、騙されたというよりも、むしろ彼女は全てをわかった上で、彼に甘え、夫を亡くした喪失感を癒やしていたのだとすら思えます。
青砥の優しさに須藤は甘え、夢を見た

そして須藤は、いまでも青砥が自分に惚れていることに気づいていて、その好意に最初は抵抗していたけど、ついに甘えてしまった。
青砥の気持ちを分かった上で、手術を控えた心細さが彼女に青砥との関係を後押しさせたのです。
ただ、青砥の人並み外れた、お人好しで純朴な性格は須藤にも想定外で。
彼の優しさに甘えた結果、“残りの人生は一人で生きていく”という誓いが崩れてしまったからこそ、2人が結ばれたあの日に出てきた言葉が「痛恨の極みだな」だったのだろうと思います。
須藤が考えていた「夢みたいなこと」とは?

須藤が月を眺めながら思い描いていた「夢みたいなことをね、ちょっと」は、青砥と一緒になって(結婚して)歳をとっていくことだったのだと想像します。
だから、青砥にプロポーズされたあのときは、須藤にとって「夢みたいなこと」が叶ってしまった瞬間でした。
でも、彼女はその時点でもう、がんの再発を告知されており、完治が絶望的であることも理解していた。
「俺はお前と一緒に生きていきたいんだよ」という青砥のプロポーズに応えることができないと分かっている須藤は、本心では嬉しいにも関わらず、彼と別れることを決意します。
自分の亡くなったあとの青砥の人生を案じて、これ以上、深入りさせないようにしたのだと思います。
須藤は、最後まで青砥の優しさに甘えて、自分らしい「太い」生き方を貫き通して、そして逝きました。
亡くなる少し前に、妹に青砥に連絡するか聞かれて、「(がんの再発を隠して、守れない約束をした自分には)青砥に合わせる顔がないんだよ」と答えたのは、とても須藤らしい最期だと感じます。
一方で、須藤に「1年猶予をやる(待つ)」と宣言した後、本当に1年間、こっそり様子を見に行ったりもしない青砥は、救いようがないまでに間違いだらけの男なのですが、そんな馬鹿正直な青砥だからこそ、須藤が心を許せたのだと思うと切ないですね。
平場の2人、いきどまりの2人

最後、焼き鳥屋で、須藤が歌っていた「メイン・テーマ」が流れると、青砥は彼女を思い出して号泣します。
観客は、(すでに須藤の死を予感しているため)青砥に感情移入して泣くのではなく、先に逝った須藤の目線から、涙を流す青砥を見て、胸を打たれる構造になっています。
続くエンディングで流れる星野源の「いきどまり」が、まさしく須藤の目線で語られる歌詞になっていることが、実に粋なはからいで、楽曲が映画の一部となっているようでした。
持っていくよ 君の笑顔
下手な 間違いながら
それでもくれた 優しさを
死に至るまでの1年間の、須藤の視点は描かれることなく終わります。
唯一示されるのは、病室の須藤が、青砥からもらったネックレスをつけている写真だけ。
しかし、このエンディング曲が、劇中では描かれていないはずの部分を見事に補完しており、おかげで、須藤は波乱万丈な人生を送りながらも、最後に青砥の優しさに触れることで、人生の救いを得られたのだと確信できます。
悲恋の物語ながら、不思議と2人の関係の終わりに同情的な感情は浮かびません。
これで良かったのだと結末を噛み締めたくなる、深い納得感の残る作品でした。
映画感想邦画堺雅人井川遥大森南朋成田凌塩見三省坂元愛登一色香澄中村ゆりでんでん安藤玉恵栁俊太郎倉悠貴吉瀬美智子宇野祥平吉岡睦雄黒田大輔松岡依都美前野朋哉向井康介土井裕泰