『愚か者の身分』ネタバレ感想・考察です。物語のテーマや3人の関係性、ラストの意味など解説しています。

本作は闇ビジネスに関わる3人「柿崎マモル」「松本タクヤ」「梶谷剣士」が主人公。
彼らの一連の事件への関わりや組織からの脱却に向けて行動した共通の3日間を、それぞれの視点から描き直す3部構成となっています。
最初は、悲惨な結末しか想像できないところから、どんどん話が展開していって、あぁそこにたどり着くのか…というラストへの着地が見事でした。
同じ3日間が異なる視点から描かれることで、複雑な物語を“分かりやすくしながらもスリリングに”見せていく。その構成の妙に引き込まれました。
上記の通り、考察不要なわかりやすさで、感覚的にも理解してしまえる本作ですが、見終えたあとに残る余韻をもう少し掘り下げたいので、ストーリーの転換点をいくつか整理してみようと思います。
- あらすじ
- 闇ビジネスに関わる「愚か者」は、加害者なのか、被害者なのか
- タクヤはなぜ、梶谷をそこまで信用できたのか
- 梶谷がタクヤを助けた理由
- 牛乳の賞味期限と自分の消費期限
- マモルの想いが滲む、余韻あるラストショット
あらすじ

タクヤとマモルはSNSで女性を装い、身寄りのない男たちから言葉巧みに個人情報を引き出して戸籍売買を行っている。劣悪な環境で育ち、気づけば闇バイトを行う組織の手先となっていた彼らだったが、時には馬鹿騒ぎもする普通の若者だった。タクヤは自分が闇ビジネスの世界に入るきっかけとなった兄貴的存在の梶谷の手を借り、マモルとともに裏社会から抜け出そうとするが……。
映画.comより一部抜粋
闇ビジネスに関わる「愚か者」は、加害者なのか、被害者なのか

この物語は、俯瞰で見ると実に奇妙な人間関係で成り立っています。
タクヤは歌舞伎町で戸籍売買の闇ビジネスに関わっていますが、彼がこの世界に入るきっかけを作ったのは、梶谷剣士です。
タクヤはかつて、弟の手術台を工面するために自分の戸籍を売り飛ばしました。
その斡旋をしたのが梶谷で、それ以来、タクヤにとって梶谷は兄貴分のような存在となっているという設定です。
一方、マモルは金がなく、ヤクザが運営する生活保護ビジネスに取り込まれそうになっていたところを、タクヤに拾われます。
そして、マモルもタクヤとともに、戸籍売買の闇ビジネスに手を染めていくことになるのでした。
まずここが闇深いところで、闇ビジネスに引っかかった人が、今度は闇ビジネスに加担して次の被害者を生むという、負のスパイラル構造が示されています。
冒頭に描かれる証明写真機での撮影は、戸籍を失ったタクヤにとって、「自己の存在証明」の儀式であったのかもしれません。
タクヤはなぜ、梶谷をそこまで信用できたのか

闇ビジネスの残酷な構造を理解しているからこそ、タクヤは自分が闇の世界に入るきっかけになった梶谷を恨みません。
それはタクヤ自身が危険を承知でこの世界に身を投じたのもありますし、梶谷がいわゆる実行役にすぎないことを理解していたこともあるでしょう。
そして何よりタクヤ自身が、梶谷の優しさを本能レベルで感じ取っていたことも大きい。
劇中で直接的には描かれませんが、おそらくタクヤの家庭環境もマモルと同様に悲惨でした。彼がアジのさばき方や煮付けの作り方をおばあちゃんから教わっていたのは、両親に問題があったからだと想像します。
でも、そんな家庭環境で揉まれたタクヤだからこそ、その人の「声」を聞くことで、信用できる人かどうかを本能的に判断できたのでしょう。
タクヤは梶谷の彼女「由衣夏」に対しても、電話の声を聞いただけで、いい人だと断言しました。
実際、彼女は梶谷のために危険な橋も渡り、逃走の手助けもします。
タクヤの読みは的中していたのです。
梶谷がタクヤを助けた理由

梶谷は、途中まではタクヤに同情しつつも、任務に違反してまでタクヤを助けるつもりはありませんでした。
彼が心変わりしたのは、パーキングエリアでタクヤが後輩のマモルを逃がそうとしていた話を聞いたからです。
タクヤとマモルの先輩後輩の関係を、自分とタクヤの関係に重ねてしまったのだと思います。
あともう一つは、由衣夏とのこともあったはずです。
梶谷は、闇ビジネスから足を洗うことで、由衣夏と落ち着いて暮らすことを夢見ていたのだと思います。
牛乳の賞味期限と自分の消費期限

由衣夏からの電話で、彼女が牛乳の賞味期限を気にする話をするのが印象的でした。
生きるか死ぬかの緊迫した状況のなかで、電話越しに牛乳の賞味期限について呑気に話す彼女は、物語のなかで日常を象徴する存在だったように感じます。
賞味期限を気にする生活って、「明日がある前提の生活」なのだ、と気づいてハッとさせられました。
また、日常を表すために使われる牛乳の賞味期限というのが、梶谷の無意識のなかにあったであろう、自分はいつまでこうしていられるだろうか、という「運び屋としての自分の消費期限」との対比にもなっていたように思います。
マモルの想いが滲む、余韻あるラストショット

ラスト、無事に組織から逃げ切ったマモルが、田舎町の橋を歩いています。
橋の中ほどで、彼が札束の入ったリュックを地面に投げ出し、橋の欄干に手をついて…
一瞬、飛び降りる?とぎょっとしましたが、そんなことはなく、流れる川を見つめ、そして…顔を上げる。
お金の入ったリュックを地面に投げ出すのは、何も背負うものがなかったあのとき、タクヤと飲んだ帰りに歩いた新宿の汚れた川を思い出したからでしょう。
タクヤの形見のシャツを羽織った彼は、このあとどう生きていくのか…

マモルはタクヤが死んだと思っているかもしれませんが、タクヤは梶谷とともに組織から逃げ切ることができました。しかし、失明という大きな代償を払うことにもなりました。
そしてタクヤと梶谷は、間もなく逮捕されるのでしょう。
警察にマークされているとは知らず、平和にアジの煮付けを食べている2人の姿は、尊くもほろ苦い幸福の余韻を残していました。
とは言え、始まりに感じた死の予感からすれば、むしろ希望に満ちた終わりにすら感じられる結末。
まさしく牛乳の賞味期限を気にするような平常な日々が、彼らの眼前に広がっていく気配を感じさせる終幕でした。